か、そんなことも思い当るフシがなく、また気にかけたこともないぜ。政子の奴が今度に限って変に気を廻しているだけだ。もっともアイツにしたところで兄の姿が何月何日から見えなくなったなんて心当りが皆目ないのはオレ同様だ。オレのウチでは自分のほかの人間の動勢や運命を考えないのが常態だな」
「すると、どなたが失踪の日を覚えていたのですか」
「女中の奴さ。周信め、小娘をあやつる名人だから、女中めが惚れてるせいだよ」
明快な論断である。そこでその女中の話を訊いてみると、
「三月十五日の夕方でした。すこし早めに夕御飯を召上っておでかけのままお帰りにならないのです。当日、特に変った御様子はお見かけしません。御飯を召上りながら、この寒いのに一晩の不寝番は利口なことじゃないが仕方がない。カゼをひかないように、せいぜい厚着して行こうと仰有ったのを覚えてます」
ということであった。彼女はお給仕しただけで、彼の出るのを見送ったわけでないから、どんな厚着して出かけたか分らないということだった。わが家へ戻った新十郎は、杉山老女が書いてくれた脅迫状到着の日のメモをしらべた。脅迫は一昨年の十月から始って、毎月一度か、まれに二ヶ月に一度のこともあって、全部で十六回。
周信が手紙の束を紛失した前後から、他の目ぼしい出来事の日附と合わせてみると、知り得たところまででは、こんな風であった。
十一月二十六日脅迫状(十二月五日に金品交換。これが政子から兄へ手渡した最後の一通の取引に当るらしい)。
十二月十七日政子強制離婚荷物搬出。
十二月二十二日久五郎ら寮へ移る。
一月八日脅迫状(十一日金品引換え)。
一月十三日小沼男爵父子三名久五郎の寮へ家探しに。当日小花家出。
一月二十八日小花羽黒公爵家へ奉公。
三月五日脅迫状(九日金品引換え)。
三月十五日夕刻周信失踪。
五月三日脅迫状(七日金品引換え)。
五月十四日周信の失踪捜査願い。
ざッと以上のようである。重大なことで日附の不明なのは周信が二度目に寮へ現れて明朝の大捜査を宣言したという日だ。日附順に並べて気のつく事は手紙の束が周信の手を離れた時から、脅迫状の到着日から金品交換の指定日までの日数が短くなってる事だ、それまでほぼ十日近い日数があったのに、俄かに三四日の間しかなく、例外がなかった。
「ともかく日附の配列から一ツの異状が見出される
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