を鳴らすだろう。それだけのことだ。シンが疲れきってるから、また眠ったにきまっているさ」
いっぺんフタをあけると四五分鳴りつづけるオルゴールだから、ネジをまく手間を入れても病人に過激な作業ではない。つづいてオルゴールがならないのは、本当にさしせまった用ではなかったからだろう。云われてみれば、尤もなことだから、ナミ子も落ちつきをとりもどした。
大伍はイスにノンビリもたれていたが、ふと立ってそッとドアをあけ、跫音《あしおと》を殺して中へはいった。いつもの通り中から一応カギをかけたが、五分ほどすぎてから跫音を殺して出てきて、
「コンコンと熟睡だ。だが、これは何だろう? 北のドアから誰かが一度はいったのかな。特に変ったこともないが、感じが何かをささやくような問題だ。これは伊助の落し物かも知れないな」
それはツケヒゲのようであった。しかし伊助は来たときもツケヒゲなぞはつけていなかった。
「こんな物が落ちていたのですか」
「マア、マア、気にかけるな」
大伍は笑って行ってしまった。
この日はたしかに変っていた。午後になっても、変った訪問者が絶えなかったからである。十二時をややまわったとき、川田秀人が馬車を走らせてやってきた。
川田は全作の唯一と云ってよい友人であった。銀行の副頭取だが、古美術では人後に落ちない趣味家であった。
川田が全作を訪ねてくるのは、たいがい土曜日の夜だ。夜の七時から十時まで。それが全作の面会時間だから、土曜日以外に来ることがあっても、午《ひる》ごろ来るようなことはない。一同のいぶかしむ顔色に川田は笑って、
「病人に会いに来たんじゃないよ。大伍君で間に合う話のようだが、なかなか云ってきかせてくれない人だね。とにかく気にかかるから、来てみたよ。言ってきかせてくれないと夜にまた出直してくるよ。今日銀行からひきだした金の使い道が気にかかるね。あの金額は気がかりの金額だね。思い当ることが、なきにしもあらずだね」
川田もそれ以上のことは云わなかった。この言葉によると、大伍が伊助を待たせておいて出かけたのは、川田の銀行へ金をひきだしに行ったもののようだ。気がかりの金額とは多額を意味することでもあろう。大伍は笑っただけで返答しなかった。
川田は二日前の土曜の晩も遊びに来ていた。その晩、病床のまわりに集ったのは、川田と大伍のほかに妙子がいたし、ややおくれてサナエ夫人も雄一をつれて良人《おっと》の病床を見舞いに来た。もっとも雄一がねむたがるので、おそく来て、誰よりも先に去った。サナエの訪問はいつもそんな風だった。笑いを忘れた顔から病人を慰める言葉がでる筈もなかった。お義理だけだが、彼女の加入は一座をしめッぽくするというマイナスのオマケまでついていた。
土曜の晩、月曜の早朝に五万円ひきだすからよろしく頼むということを全作が川田に云ったのを妙子はたしかに聴いていた。当時の五万円といえば、利子だけでも生涯中流の生活ができるほどの大金であるから、前もって了解を得ておかないと当日窓口が即座に支払ってくれないほどの金額でもあった。
無尽蔵の金がある全作ではないはずだ。むしろ彼の財産は残りが多くはないはずだ。家族には分らなくとも、取引の銀行には分る。利殖の投資以外のことに五万円ひきだすとすれば大胆すぎることであった。ヤブレカブレの感なきにしもあらずであった。
「これで家族には一文の小遣いも与えたことがない人だとはウソのような話だ。ゲタをはき捨てるのが早すぎると云って、歯の根元まですりきれてから捨てることを執拗に要求してやまない人物と同一人の所業だとは信じられないことだ。ケチンボーというべきではなくて、家族の人格や値打を根元まで歯のすりきれたゲタの程度にしか認めていないことであろう。だが、ケチとは要するにそのことでもある」
川田は家族たちが全作を嫌うのは尤も千万だと思った。彼もこの友人が好きではない。だが全作のコレクションには魅力があった。奴メが死ぬとコレクションはどうなるか。気にかかる大問題であった。数は多くはないが、粒よりの一級品であった。
大伍らが午の食事中であったから、川田は座をはずした。陳列室の外側の廊下をブラついた。控えの部屋にナミ子がいたから、
「御主人のゴキゲンはどうだ?」
「熟睡していらッしゃいます」
「御主人の今朝のお買上げ品を見たかい」
「いいえ」
女中には見せまい。川田は諸方をブラブラ歩いた。カギのかかっている部屋以外は遠慮なくのぞいて歩いた。庭へでて陳列室を見上げると、窓は全部閉じられていた。初夏にちかい陽気だというのに、真夏以外は概ねこうだ。窓をあけるとゼンソクにわるいという信条のせいにもよるのだが、空を吹く風には植物鉱物動物どもの雑な呼吸がこもっているから吸う人の胸壁をむしばむ悪作用があると信じて疑わぬオモムキがあった。
庭木戸をあけてヒョイとはいってきた人物がある。見るとオトメであった。川田を認めてオトメは呟いた。
「朝から気ぜわしくッて、心配で、ジッとしていられないのよ。今日、あの部屋で誰か死ぬ人があるわよ。オイノリして死神を落してさしあげなくちゃア」
陳列室を指してみせた。そして小走りに走った。川田が懐中時計を改めると、一時にちかい時刻だった。
「ノンビリと遊びすぎたぞ」
彼は一同に挨拶もせずに馬車にのッて銀行へ戻った。
★
月曜は日中いっぱい手の施しようがないほど習慣の行事が乱れてしまった。
病人の昼食はトースト三片と紅茶で、大伍がその世話をしてやるのだが、控えの間に用意のパンはそのままに置きッ放しであった。
「コンコンとおやすみだから、今日はほッとくがよい」
大伍は習慣にこだわらなかった。ナミ子もこだわらなかった。ナミ子は助手で、看護人ではないのだから、根をつめて控えの間に詰めきる必要はない。日中は大伍の勤務御時間だ。ナミ子は自分の昼食に下りて、その後は概ね女中部屋にいたが、ふと大伍の部屋の前を通ったら、彼の大イビキがきこえた。
ナミ子は気がかりになって、午後は二度だけ二階へ登ってみたが、控えの間に大伍の姿も他の誰の姿も見かけなかった。そして昼食のパンは夜がきても卓上に置かれたままであった。
夕方の七時になった。夕食の用意ができた。大伍はようやく寝ぼけ眼をこすッて起きてきたから、
「私が旦那様に御食事を差上げます」
と大伍のカギをかりで、二階へ夕食を運んだ。日中は誰も便器も見てあげなかったようだから一パイつまって臭いかな、と案じながら、まずドアをあけて燭台をかかげて病人のゴキゲン偵察に中をのぞきに行った。これから夏になるとだんだんウミの臭気がひどくなる。便器の臭気やらウミの臭気やらで、広い陳列室が充満してしまうのだ。
病人は変なカッコウをしてねていた。背中をまるめてフトンをひッかぶっている。まだお休みかしら? お疲れだろうから、とナミ子は思った。近づかずに、ナミ子はそッと戻ってきた。病人が目をさましてオルゴールの合図をするまで待つべきだと考えたからだ。大伍が来て指図をするまで、自分の一存で病人の眠りを妨げるのは慎しむべきであろう。こう考えて、ナミ子は控えの間に燈りを立て並べて待っていた。大伍は一風呂あびたり夕食したりで、なかなか現れてくれない。まず現れたのは川田であった。
「病人はまだおやすみだって?」
「お食事が冷くなってしまったわ。お昼食もお夕食もまだなんです」
川田のあとからそッとついてきたらしいオトメが叫んだ。
「大変だわ。神様のお告げの通りよ。きッと悪いことが起っています。どうしましょう。心配でたまらないわ。ホラ、胸騒ぎのすること。さア、大変。ナム、クシャクシャ」
ナミ子は思わずカギを握って立ち上った。なるほど様子が変だった。もっとも、ナミ子は助手にすぎないから、オルゴールの合図がなければ病室へはいることはまずなかった。だから病人の寝ている姿を見たことはめったにない。けれどもこの一日のことを全部綜合してみると、何から何までいつもと変っている。別に大そうな変りではないが、ガラリとふだんと違うことは確かであった。
ナミ子が燭台をもって歩きだすと、川田とオトメもついてきた。ナミ子は燭台をかざして、一風変った寝姿を人々に示した。毛布をかぶっている。しかし、背中をまるめて俯伏しにねていると思ったのはマチガイだ。セムシだって、こんなに背中はとがるまい。ナミ子はその異状に気がついた。と、同じことを見てとった川田が毛布をつかんで、そッとあけた。顔色が変った。
「ヤ。ヤ。血だ。アッ。殺されている!」
懐剣が病人の背中をブッスリ突き刺しているのだ。全作は冷くなってことぎれていた。七時三十五分であった。
★
翌日一日、警官たちが二階でごッた返していた。家族は下の小部屋に閉じこもって、わが家を占領した人々の乱暴な動作に呆れていた。この家でこの荒々しい動作が可能だということすらも人々は今まで考えたことがなかった。人々が鉄工所の中や工事場でしているような動作が、このキチンとした家の中でもやろうと思えばできるらしい。
人殺しだって、こんなに思いきった荒々しい動作でやりやしないだろう。
我慢しかねて抗議したのは、この家の者ではなくて、見舞いに来てくれた川田であった。もっとも彼は発見者の責任もあった。
「広間の陳列品は日本の一流の美術品だから気をつけて下さいよ。骨董屋の店先に並んでいるピカピカしたガラクタとは物がちがう。一ツでも、何万、何十万という珍品ぞろいだ。この品物と一しょにいると、品物が持主を殺したがるに相違ない。品物の面魂《つらだましい》を見てごらん。ジッとイノチを狙っているね。そういうのが三十や五十はあるだろう。なにしろ、本来の持主と一しょに、土の下の古墳の石の部屋の中にある石の棺の中に千年も二千年も眠っていた品々だからね。一枚の石のフタが四畳半はタップリある奴を五枚も十枚もならべた下に二千年も眠っていたのだ。怒っているよ。病人を殺した短剣だって、墓の中から出てきたものかも知れない」
こうおどかされて、警官も単なる人殺しの現場以上に妖気がこもっているのに気がついた。人殺しなんてものは警官にとっては便所のようにありふれた物にすぎない。死んだ病人のウミの方が死人よりもイヤだ。同じ便所にしても健康人のそれが病人のそれよりも感じがいい。けれども要するに便所そのものは有りふれている。しかしこの現場には有りふれていない何かがあるらしい。その妖気に気がつくと、にわかに川田に威厳がこもって彼自身が妖気を放つ一人の偉人の如くに見えた。
それと気がついた一人はナミ子であった。ナミ子は平凡な女だ。平凡な観察しかできなかった。しかしナミ子はこの人殺しを彼らが発見した直後の異様さは忘れることができなかった。その場には、ナミ子と川田とオトメの三人がいた。元々異様なオトメがそのとき更に異様な表現を示したのはフシギではないが、その異様さはいかにもただの異様さだった。川田の示したものと比較ができてそれが分った。ナミ子は思いだして人々にこう語った。
「殺されてる人のことに川田さまの注意がむけられてたのは一分足らずだったわ。私が気がついたとき、あの方の見ていたのは人ではなくて、人の周囲の物だったわ。殺された人を見ている目よりも真剣に見える目の色だったの。そして、燭台をかざしてグルグル歩いて一ツ一ツ見て廻ったわ。人殺しにとりのぼせて鵞鳥の喚くような声でオイノリしているオトメ婆さんなんてつくづく平凡でダラシがないと思ったのよ。ノッシノッシ一廻りしてきた川田さまの顔は静かなタダの顔でした。静かなタダの顔の怖しさが身にしみたのよ」
妙子はこの言葉をきいてビックリした。その静かなタダの顔がアリアリと目の前に見えるように思われた。川田は銀行家だ。人殺しも血も墓から掘りだした美術品も人骨も、十円札と同じように一枚々々数えているタダの顔なのだ。
殺された全作やその弟の大伍は、同じ十円札をかぞえても、銀行家のようにタダの静かさではない。人生万事にもっと
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング