食いつめたあげくが自由党の壮士となって結成式に板垣総理万歳を叫んだ。それも暮しの工夫なら無いよりはマシだが、二三年のうちに彼の自由思想はさッさと死んで、兄貴のところへころがりこんだ。たまたま病床につきそめて不自由をかこっていた全作がどこを見こんでか看護人に選んだ。
「お父さんはずるいのね。叔父さんが大きな顔で居候できるどころか、お給金までいただけるのもお父さんの病気のせい。死んでしまえばクビだもの、喜々として看病にはげむ道理ね」
 妙子は薄笑いを浮かべて考えた。
 先妻の子は妙子だけだ。サナエの実子は雄一という八ツの息子一人であった。サナエにとっては、全作というヤッカイ者は早く死んでくれるに限るのである。ケチンボーで家族へのあたたかい愛情などは影すらもない。この冷血動物がくたばりさえすれば、家をつぐものはわが子である。サナエにとって牢屋にすぎなかったこの家にもたちまちにしてランマンの春が訪れる。
 妙子の一考したところによっても、このオヤジのくたばる方が世のため人のため自分のため功徳となるに相違ないと思うけれども、さて実際に死んだとなると、諸事につけて功徳をさずかるだけとは限らない。
 このオヤジの生きてるうちは妙子の半分だけは時信家の実子であるが、彼が死ぬと、実子の半分も消え失せて、継子が全部になってしまう。継子も居候の一種かも知れないから鼻ヒゲをたてた仕事熱心の看護人を図にのって笑ってもいられない。かりにも子の字がついてるから心やすくクビにできないかも知れないが、その方がむしろツキアイがむずかしいや。
「看護役は居候に限るにしても、オヤジ殿は目が高いや。私だったら始末のわるい小犬のように罵って便所まで追ってやるわ」
 妙子は病気に同情しなかった。同情とは人間が対象で、病気のせいではない。
 しかし、看護に熱心という点では大伍叔父が日本一ではない。早い話が彼にも全作にも姉に当る小坂オトメというお婆さんがはるかに一心不乱に看病するであろう。
 オトメは小坂主税という人のところへおヨメにいったが、主税はノンダクレで、給金も親の遺産ものみほしたあげく、酔ってオトメをぶんなぐる癖があった。今に見やがれと思っているうちに、ある晩主税が酔払ってよそのウチへあがりこんで、
「ヤイ、酒をだせ。ナニ、酒がない。なければ買ってこい。ナニ、酒屋は寝た、と。起きてる酒屋でのんでみせるからゼニをだせ」
 よその女房を五ツ六ツぶんなぐって髪の毛をつかんでひきずりまわした。やりつけてる手法である。ついでに亭主の横ッ腹を蹴り倒してクビをふんづけてタタミにこすりつけた。合わせてオトメ一人ぶんにすぎないのに、オトメは鼻血しかださないが、この夫婦はゼニをだした。その代りそれを握って居酒屋で飲み直していると、巡査がきてブタ箱へぶちこんでしまった。
 そのときオトメがこう証言した。
「酔ってワケが分らなくッて自分のウチをまちがえたろうですッて。とんでもない。ウチには三十年間お金もお米もあったタメシがありませんや。人様のウチと知ればこそ、ヤイお金をだせ、と立派なことが云えるんですよ」
 一点非のうちどころがない論証であるから、めでたく、主税は獄屋へ送られた。目下入獄中であった。オトメの立腹は当り前だが、三十年もこらえていたのが何のためだか分らない。子供の君太郎が三十だから、まさに三十年じゃないか。君太郎はオヤジにせびられるおかげで女房も貰えなかったが、オヤジが入獄したのでオトメの手をおしいただくようなこともしなかった。
「今日から親でもないし子でもない」
 と云って、どこかへ立ち去ってしまった。オトメは自分一人では食うことができない。面倒を見てもらいに全作にたのみにきたが、会ってもくれないから、ドア越しに、
「私はこのうちの長女、お前の姉さんだぞ。オノレ祈り殺してやるから覚えてろ」
 ドアをぶッたり蹴ったりして帰った。一人じゃ生きて行けないから、大霊道士のところへころがりこんだ。道士は霊界と自在に往来通話ができる人の由で、オトメは十年も昔から信心していた。教祖の膝下に身を投じたから、悟りをひらいたのか、ちかごろは三日にあげず全作を見舞って、
「神様に祈って病気を治してあげるから、会っておくれ。顔を見せてくれなければお祈りもきかないよ。たちどころに病気が治るからさ」
 相変らずドア越しであるが、来るたびに声が優しくなるばかり。このさき益々声が優しくなるかと思うとゾッとするようだ。
 この一心不乱の志願者にくらべれば、弟の大伍が便器を捧持して往復する姿などには第一霊気の閃きがない。
「祈ってもらえばいいのに。退屈な病人だ」
 見るもの聞くものが妙子の気に入らなかった。しかし、まさか全作を殺すような気性のスッキリした人物がこの邸内に居ようとは考えていなかったのである。もっと
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