らん」
 お札を由利子に持参させて眺めていたが、火鉢の火を掻き起して、その中へお札を投げこんだ。厚紙だから燃え上るのに手間がかかって、部屋は煙で目もあけられない程になった。それでも、ようやく焼き捨てた。
「タタリというのは、これだけだ。オレを泣かせやがったよ。オーカミイナリは」
 久雄はそれ以上の関心を全く払わなかった。そして、その一夜は無事にすぎた。
 翌日の午すぎて、父は酔って帰ってきた。そして、ただちに寝床をしかせて寝てしまったが、一同の夕食がすんだころに目をさまして、洒を命じた。
 由利子自身酒肴をととのえてお酌をした。由利子にだけは優しい父だった。
 お札のことを父にきかせてはいけないが、オーカミイナリは気にかかる謎であるから、訊かずにいられない。
「オーカミイナリって、賀美村のオイナリ様?」
 由利子が相手なら、酔えば酔うほどキサクい父である。彼はクッタクもないらしい。
「オーカミイナリというのは邪教だよ。オレだけはその系図や古文書と称する物を見て知っているが、自分で拵えたニセモノさ。拵えてから六七十年はたっているかも知れんが、それを二千年も昔からの物だと言いふらしているのだよ。児玉郡と秩父郡の境界の山奥にある小さな祠さ」
「ウチと関係があるんですか」
「一寸だけ有ったが、今はない。庭のホコラはお母さんが造ったものだが、あれは折を見て焼きすてるとしよう」
「それはいけないわ。だって、私に毎朝晩お詣りするよう遺言なさったのですもの。お母さんはタタリを怖れてらしたのよ。そのタタリは、どういうわけなの?」
「どういうわけも有るものか」
 真弓はライラクにカラカラと笑った。
「オーカミイナリは神様ではなく、気ちがいなのだ。山の中を狼のように走ることはできるが、東京の街の中で何ができるものか。天狗の顔で都大路が歩けるかい」
「天狗の顔?」
「ハッハッハ。オーカミイナリの神官は世にも珍しい天狗の顔つきなのさ。代々天狗の顔だそうだよ」
 父の話は奇怪であったが、心配の種になるような言葉はなかった。由利子はひとまず安心した。父の食事を下げたのは十一時ごろであった。
 父は一風呂あびた。その間に由利子が雨戸を閉じて寝床をしいた。十一時半ごろお手がなったので、由利子が父の寝間へ行くと、熱いお茶を一パイ所望し、ランプを消してアンドンをつけさせた。父は小用が近いので、灯りがいつも必要であった。
 父の用を果して、由利子が自室にくつろぎ、寝床について間もなく柱時計が十二時を打った。そのころまでは、蛭川真弓は生きていた筈であった。
 翌朝、寝床を血の海にして死んでいる真弓の姿が発見された。
 弓の矢が心臓を射ぬいていた。そして死んだ顔には、天狗のような鼻の高い目玉の大きな面がかぶされていた。猿田彦の面のようなものであった。
 発見者は由利子であったが、彼女の報らせで兄とともに駈けつけた川根は兄と妹がそこにいることを忘れたように、一足一足ふるえつつ退いて、叫んだ。
「オーカミイナリだ! あれ[#「あれ」に傍点]と同じだ! 神の矢で一うちに殺されている! 猿田の面をかぶされている! あのタタリが十五年間、まだとけていなかったのだ」

          ★

 新十郎一行が日本橋の蛭川商会へ案内されたのは二日後のことである。現場はすでに取り片づけられていた。
 真弓の居室は店からはいって一番奥の離れのような別棟であった。廊下を渡ると扉がある。扉の向うが真弓の部屋で、まず便所があり、十二畳の椅子テーブルのセットを置いた板敷きの間があって、北側が土蔵の入口になっていた。
 その奥に十畳の茶の間と六畳の小部屋があり、突き当りが十二畳の寝間であった。南側がちょッとした庭。その片隅にイナリがあった。北側にも小さな庭があり、西はすぐ塀で、裏木戸があるが、これは道路側からは開けることができない。手がかりがないからである。
 犯人は六畳の小部屋の北側の窓をあけて外へ降り、木戸をあけて逃げ去ったもののようである。窓が開いていたから、逃走の経路は分った。北側は土蔵によって母屋とさえぎられているから、そこを逃げ口に選ぶのは当然だったが、侵入の順路が分らない。
 由利子は父の入浴中に各部屋の雨戸を閉じた。六畳の雨戸もそうである。上下の桟を特に注意しておろすことも忘れなかった。ところが雨戸には外側からムリにこじ開けた形跡が全くなかった。
 廊下の戸は父の側からは錠をかけることができるが、今まで錠をおろした習慣はないし、その朝も錠はおろされていなかった。
 廊下のこッちは中庭に面して由利子の部屋があり、階段を登ると久雄の部屋があった。由利子の部屋の隣室に四人の女中が眠り、その向うに台所や湯殿がある。他は階上階下ともに空屋である。台所用の土蔵も附属していた。
 さらに一ツの中
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