がもたないよ。外でチョイ/\高い物を食わなきゃアならない。そのくせ一文も金を貸しちゃアくれないね」
「ヘソクリをためているのか」
「ヘソクリどころじゃないよ。師匠に店をもたせて以来、モウケは二人で折半。アンマの株を買ってやったのが持ちだしだが、その何百倍とモウケたくせに、今でもそれを恩にきせて大威張りさ」
 そのとき、にわかに起った半鐘の音。スリバンだ。
「近いらしいね」
 諸方の家の戸や窓があいて、路上や二階で人々の叫び交わす声。弁内は慌てずあせらず、もむ手を休ませないから、
「火は近いようだが、お前のウチは遠いのかい」
「いえ、遠かないね」
「落ちついてやがるな」
「火事にアンマが慌てたって仕様がないよ」
「なるほど。それにしても、人情で慌てそうなものじゃないか」
「焼ける物を持たない奴は慌てないよ。チョイと慌てる身分になりたいやね」
 そこへこの商人宿の女中がかけこんで、
「弁内さん。火事はアンタのウチの近所らしいよ」
「そうかい。それなら、ここのウチでゆっくり一服しなきゃアいけない。うっかり目アキに突き当られちゃアかなわないからな」
「オレが見てきてやろう」
 仁助は立上り、女中からアンマ宿の所在をたしかめて、火事見物にでかけた。

          ★

 幸い風のない晩だから三四軒焼きこがして食いとめた。アンマ宿は通りを一ツ距てていたので、近火だったが、被害はない。
 弁内はヤジ馬や火消が退散して、深夜の静けさに戻るまで油をうって帰ってくると、オカネが銀一とお志乃に当りちらしている最中だった。
「ここんちじゃア人間の頭は六ツだが、目の玉は一ツ半しかないんだよ。その一ツはお志乃の顔についてるんだ。家財道具を運びだすにも、メクラどもの世話をやくにも、その目玉がタヨリじゃないか。火事が消えてヤジ馬も居なくなったころになって、ようやくノコノコ現れてくる奴があるかい。そッちのゲジゲジの野郎も唐変木じゃないか。ここはお前のウチだろう。本宅の四五軒先がボウボウもえてるてえのに、妾宅に火の消えるのをボンヤリ待ってるバカがあるかえ。テメエはメクラかも知れないが、車夫やトビの五人十人くりこませるぐらいの才覚がつかねえかよ。唐変木のゲジゲジめ!」
 なるほど、オカネ婆アの怒るのも一理はある。しかし、見習の稲吉はせせら笑って、
「うるせえ化け物婆アだなア。師匠とお志乃さんが戻
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