さんは葬式の前日の午後二時ごろ向島の寮からの使いが来て、そッちへ出むいたようです」
 というのが、本邸で最後に彼の姿を見たという者の言葉であった。
「使いの者を覚えているかね」
「寮の車夫の房吉ですよ。番頭さんはその車にのって出かけました」
 喜兵衛が死んでから、清作が本邸へつめているというので、新十郎は面会をもとめ、
「突然妙なことを伺うようですが、父上の御遺言はありましたか」
「いえ。覚悟の自殺ではないようで、別に遺言はございません」
「父上の落しダネと名乗って当家へユスリに現れた者はございませんか」
「そういう話はついぞ聞いたことがございません」
「大番頭の重二郎は父上の信用がありましたでしょうか。本当のことを打ちあけていただきたいのですが」
「特に信用があったとは思われませんが、先代が当家の基礎をかためてくれた忠義一徹の番頭で、その子ですし、私の死んだ姉の聟に当る者ですから、他人ではありません。信用のあるなしというよりも、身内ですから」
「信用はなかったが、身内だから、仕方なく使っていたという意味でしょうか」
「いえ。ただ身内の者だと申す意味です」
 清作はやや顔をくもらせて、
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