帳の方にも未来の分を書いておいたぜ、と大笑いでした。葬式のマネゴトをやるについては、これも浮世の仕来《しきたり》だから受けて置けと気軽な様子でお手渡しになったのです」
 なんとなく深い意味があるような、ないような、曰くありそうな系図であった。とにかく老禅師に問いただすと、製作のイキサツは分ることだ。新十郎は一礼して系図を返し、
「よく分りました。ところで、そのとき御尊父は寮の車で市川の別荘へ立ち去られたそうですが、ここへおいでの時にも寮の車で?」
「いえ、御本宅のお車です。ですが、そのお車は何かの用でどこやらへ遣わされたようでした。なにぶん葬式の前日ですから、何かと諸方と往復の御用やら何やらがありましたようです」
 新十郎はさッきから保太郎の手のホータイに気をつけていたが、
「どうやら、あなたも重二郎さん同様、今も武ばったことがお好きのようで。モーロー車夫と組打ちなさったのではないでしょうな」
 と笑いながち冗談を云った。両手の手首から掌にかけて同じようにホータイしている。保太郎もくすぐったそうに笑顔で答えて、
「つまらぬものが目にとまりましたな。どうも恐縮なことで……」
 と、ごまかした。
 新十郎はあつく礼をのべて、保太郎やチヨにイトマをつげたが、待たせておいた馬車に乗って、お寺へ行く道で、
「三原保太郎さんは両足の足クビにもホータイをまいていましたね。手のホータイは隠せないが、なにも、あの足クビのホータイまで見せなくとも良かったんだなア。あの方は自分の居間に坐ったまま私たちを迎え入れ、帰る時には立って送って下さったが、私たちの後から歩いてくる分には足クビのホータイは見えない。玄関で私たちが振りむいてイトマをつげた時にはあの方々は坐って見送っていましたからね」
 虎之介は呆れて、
「それが、どうしたね」
「ナニ、あの人が女中をよびに立ったとき、足クビのホータイが見えたのですよ」
 新十郎はそう答えて笑った。

          ★

 老師の話は淡々とあくまでも禅問答めいて呆気ないものだった。
「ああ。あの系図に過去帳のことか。故人がそのときここで書いたに相違ないが、ワシに花押《かおう》をかけというから、ハンコで間に合わせてやったな。お経もあげてやらなかったな。浮世のことはハンコでタクサンのものだ。お経などはモッタイない」
「老師が故人の危険をさとって扉に向っ
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