この怪死事件には、警察の手もうごいた。けれども、諸家へ松茸を配分したオタネ婆さんに怪しむべきところはなかったし、それを向島の寮へ届けた半助(十五歳)にも怪しげな節はない。
 オタネ婆さんから半助の手に渡され、半助がそれを持って出発するまでと、向島に至る道中、及び向島の寮の者に渡されてのち料理されるまでの間には、誰の目からも距てられた時間がたしかにあった。
 半助は向島へ至るまでに他の五軒に松茸を届けている。もっとも、向島の分だけは進物用とちがってミズヒキなどがかけられていないから、他家の分ととりちがえる筈はなかった。それらの家はいずれも山キとジッコンのところであるから、まアお茶菓子でもおあがりとカマチに腰かけたり、女中部屋へ引きあげられたり、茶菓をいただき、お返しの半紙など受けとって、順ぐりに五軒をすまして向島に辿りついたものだ。
 この五軒の中にはチヨの実家の三原太兵衛、これはマル三という木場の大旦那の一人だが、その家もある。
 また、高野為右衛門、これは鍵タという木場の旦那。ここが若干問題の家であった。と云うのは、ここは喜兵衛の死んだ女房の生家だからで、喜兵衛の子供がみんな病身で次々に死ぬ。それもみんな母方の体質に欠点があるせいだ、と喜兵衛がもらしたというので、鍵タから厳重抗議の使者が立ち、一時両者の間は甚だ険悪なものがあった。
 もっとも受身の喜兵衛の方には特に含むべきイワレはないのだが、人の盛運は健康の中にあると云われるように、たしかに当主が病弱だった鍵タは日とともに衰運に傾き、破産に瀕するところまで来ているらしい内情であった。家運の傾いたアセリから特にヒガミも生れたのであろう。したがって、喜兵衛の方はインネンをつけられて愉快な筈はないが、先方のヒガミに同情できる気持もあって、亡妻の生家に対する一応の礼は欠かさない。それがまた鍵タのヒガミをそそりたてて、小さな根から大きな怒り恨みを結ばせ、内攻させていたのであった。
 しかし、もしも清作親子四人が全滅したとすれば、実質上の利得をうる者は重二郎であろう。なぜなら、彼の実子たる二人は主家の外孫で、それが主家の後嗣《あとつぎ》の最も有力な候補者であろうからである。
 この疑いは当然誰の頭にも起ることであったから、彼の身辺は最も深く当局の洗うところとなったが、彼が秋田からヘップリコを取りよせたような時間もツテも
前へ 次へ
全35ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング