医学の先生のおすすめで海岸に別荘をたてて移りすむようになりましたので、今年の初夏以来、私が時々上京の折に住む以外には用のない物になりましたのです。ふだんは留守番の老人ひとり居るだけです」
「ではその事情を承知でロッテナム夫人が借用を申込んだのですね」
「懇意な方を介して至って気軽なお話があったのです。何か世間をアッといわせる美人術だとのお話で、どうせ用のない建物ですから、その知人の方もイタズラ半分に申しこみ、私もイタズラ半分の気持でとりきめてしまった約束でした。もっとも私がロッテナム夫人にお貸ししたのは階下だけです。それで充分だとの申込みだったのです」
「そうでしたか。この建物も奇妙なお役に立ったものですなア。まさか、あの大評判で開店した美人術がみるみる不評を重ねてわずかに一ヶ月ほどで立ち退くことになろうとは思わなかったでしょうが、失礼なことをお訊きするようですが、ロッテナム夫人が当家を去るとき、日本では俗に夜逃げと申すような退散ぶりであったとか。世間ではそう申しておりますが」
婦人は面白そうに笑って、
「ロッテナム夫人の立ち去る姿も、立ち去った時刻も誰も知らなかったと思いますが、も
前へ
次へ
全88ページ中73ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング