呟いたではないか。
「エジプトのナイルの河が海へそそぎ、その砂が海底をわたり、海を距てて積みなしたところ、アラビヤの沙漠の辺……」
 これぞまさにロッテナム美人術の広告中の文章ではないか。兄がロッテナム美人術を知っているとはフシギなことだ。いつも書斎にとじこもり、世事に興味をもたぬ兄が。
「ここに、何かイワレがある……」
 克子は石のように、考えこんでしまった。しかし、どのようなイワレがありうるというのだろう。克子はただの一度だけ訪れたことのあるロッテナム美人術の店内の様子なども思いだした。別に思い当ることはない。ロッテナム夫人は醜女であった。エルサレムの生れというが、当り前の西欧人によく見かける顔とそう変りはない。
 変っているのは、むしろ煙りつつある香料の器をささげて寝椅子のまわりを歩く二人の黒人男女であろう。それはまさに真ッ黒けの逞しく大きな黒人男女であった。
 そう云えば、もう一人、黒人がいた。これも大きな黒人で、やっぱり頭髪がチヂレていたが、これは手術室にははいらない。ただ出入りのお客の世話をやき、扉を開けたてする役であった。そして、この黒人がドアに左手をかけたとき、克子は目
前へ 次へ
全88ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング