ぞも道路の方から邸の方を見て通る通行人と同じぐらいしか知りやしねえや。しかし、階下の使用しか許されていないロッテナム夫人が大伴さまの侍女たちと二階の寝室へトントンとでかけることがチョク/\あったようだから、大伴さまが特別の美人術をうけていたのはウソではなかろう」
「ロッテナム夫人が立ち去るときには、大伴夫人の個人用の手術台まで持去ったのかね」
「私がそれに気がついた時はなかったようだが、ここに置いとく筈はなかろうよ。他人に使わせたくない特別な物だから、ロッテナム夫人が持ち去らなければ大伴さまが自宅へ持ち去るにきまってらアな」
新十郎は厚く婦人に礼をのべて辞去したが、その足でただちに通太郎夫妻を訪ねて、
「あなた方は精神病院のお兄様に面会ができるでしょうね」
「それが、まだ医師の許しがでないのです。発作がしずまって、一定の落ちつきを取り戻すまでは、いかなる者にも面会を許すことができないのが精神病院の定めとかで、克子は毎日のように病院へ問い合せを発しているのですが、いまだに吉報はありません」
「そうですか。それでは面会が許されたとき、イの一番にこれをお兄様に示してその返答をたしかめていただきたいのですが」
と、一枚の紙をとりだして渡した。その紙には、
「貴殿がロッテナム美人館を訪問せられし折に招ぜられたる手術室は、階下なりしや、階上なりしや」
実に通太郎夫妻にとっては意外千万というほかにない質問がたった一ツ書かれていただけであった。克子は呆れて、
「本当にこんなことを訊ねてもよろしいのでしょうか。兄上がロッテナム美人館へ行ったことがあったとは想像することもできないのですが」
「大伴家では誰にも想像のできないようなことだけが起っているのですよ。ですが、この質問に、もしも私が期待しているような御返事がいただければ、九分九厘までお兄様を鉄の格子の中から救いだすことができるでしょう」
と、謎のようなことを言い残して、新十郎は消え去った。
★
それから何日かがすぎて、珍らしく新十郎は虎之介を案内にたてて、氷川の海舟邸を訪ね、他の訪客には遠慮してもらッて、長らく密談にふけっていた。
「コチトラは敗軍の将だから、当節の殿様の権柄《けんぺい》については不案内だが、文明開化の御時世とはいえ、無理が通れば道理がひッこむ。いかな明君の治世といえども、道理がみ
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