けだから、この罪人は無邪気であった申せますし、したがってその罪人の詐術を引き立てるに役立つようなこの洋館を貸してあげる家主の場合は、この上もなく無邪気な罪人に相当するにすぎないであろう。こう仰有る知人の言葉が気に入って、私はこの上もなく無邪気な罪人の家主になることを選びました。私は家賃をいただかなくとも、無邪気な家主の罪を犯す満足に浸るだけですました方がたしかに幸福でしたろう。私はそうするツモリでしたが知人が許さなかったのです。その知人は大そうお金持ですから、他人がみんな気の毒な貧乏人に見えるらしいのです」
「その知人は、もしや大伴シノブ夫人ではございませんか」
「まア、あなたは、どうして。……私はこの方の名を人に語ったことはついぞ一度だってなかったのに」
と、婦人は顔の色を変えたが、新十郎は彼女のおどろきがたちまち鎮まらざるを得ないような無邪気な様を示して、
「いえ、ただ今のお話中ににわかに思いついたのです。なぜなら、日本中で今もってロッテナム美人術を推賞していらッしゃるのは大伴シノブ夫人だけだということは世間で名高い話ですから。無邪気な罪と仰有る言葉を承るうちに、ロッテナム美人術に関してたぶんどなたよりも無邪気な罪を犯していらッしゃる犯人は大伴シノブ夫人でしょう。あの方が今もってロッテナム美人術を推賞している事実に越すイタズラはあるまいと思いついたからです。貴婦人の総ての方々が悪評を加えていらッしゃるのに、たッた一人推賞して倦むことを知らない情熱は、それが無邪気なウソにきまっていると語っているようなものです。第一、大伴シノブ夫人は天下名代の絶世の美人で、あの方の本来の玉の肌はすでに美人術の推賞を裏切るものです。まして甚しく情熱的にほめすぎることは益々明瞭なウソを自白いたしておるものでしょう」
「御説の通りですわ。あの方がロッテナム夫人を後援したのは、日本中の貴婦人方の玉の肌を荒すのが目的だったかも知れません。生れつきのイタズラ好きなんです。留守番の老人はロッテナム夫人の居住中も特に自分の一室に住むことを許されていたのですが、ときどき大伴夫人の姿を見かけたそうですが――あの方は毎日欠かさず来ていたのです。しかし、手術室で術を受けたことはなく、ロッテナム夫人には貸すことを許さなかった私の二階の寝室でねころんでいたようです。その部屋のカギは私が彼女に貸したのです。で
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