》宇佐美通太郎と共に馬車を急がせて、広大な大伴邸へのりつけたときには、叔父の大伴晴高が小村医師と共に兄の隣室にションボリしていただけであった。
「お兄様の御容体は?」
克子がせきこんで尋ねるのを、晴高は手で制して、
「静かに。静かに」
なすところを失うほど困惑しきっている様子であった。
「そんなにお悪いのですか」
「生命の危険はとにかくとして、カンがたかぶっているのでなア」
「お姉様がつきそってらッしゃるのですか」
「イヤ、イヤ。誰もつきそっておらぬのじゃ。つきそうと、カンがたかぶる。ただ、克子に会いたいと云われるので、そなただけが、あるいはと思うて。ま、かいつまんで御容体をお話し致すから、おかけなさい」
克子を椅子にかけさせて、叔父は小村医師の顔を見ては助言をもとめながら、だいたいの経過を語ってきかせた。
宗久が発作を起して倒れたのは、克子が結婚して六日目にも、一度あった。そのとき宗久はウワゴトの中で、
「そこにいるのは、誰だ!」
時々あらぬ方を見て、そう叫びだしたが、そこには誰も居らず、常に何か夢に脅やかされているようであった。
二日ほどで発作は落着いた。その後、シノブ夫人が附ききりで、書斎と居間と寝室以外に出ることがなかった。
しかるに、昨夕以来にわかに発作が起り、前回とちがって、今回は狂暴であった。彼は日本刀を握り、シノブ夫人に心中を追って、逃げるを追いかけ、とめに入る侍女や使用人の男たちをも一様に斬り殺しかねなかった。
シノブ夫人の父、須和康人、また大伴家歴代の家老の家柄で今もって大伴家の相談役についている久世喜善、及び叔父晴高が参集して主治医小村とともにいろいろの策を試みたが、いくらかでも静かに言葉を交す気持になるのは、叔父晴高に対してだけで、それも長くは続かなかった。
「お前は大伴晴高ではあるまい」
十分間ぐらい静かに話しているうちに、宗久はモックと頭をもたげて、狂暴な目を光らせて、こう叫びはじめた。今にも刀を握って斬りかかりそうに見えるのである。
「これは異なことを言われる。よくこの顔を見なさるがよい。まさか私の顔を見忘れは致されまい」
「黙れ! 顔だけで信用はできぬ。貴様は須和康人であろう」
「顔だけで信用ができなくては、さて、さて、私もまことに困却いたすのう。それでは何をもって証明いたしたら納得なさるかの」
晴高にこう云われる
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