上げして、ひどい目にあわしてやる」
 と、オタツはニヤニヤしながら菅谷に云った。
「一円が精イッパイだと思ったら、クサレ目は金持だよ。何万円も持ってるのだよ」
 オタツは益々ニヤニヤしたが、
「谷の木を伐っているのは秘密ではなくなったし、二度と伐る筈もあるまい。伐らせていた旦那も死んだのだからな」
 と菅谷に云われて、オタツは目をまるくして考えこんだ。再び口止め料がまきあげられないことに気がついたらしい。
 菅谷はナガレ目を訪ねて、
「オタツに一円ずづ何回まきあげられたか」
 ときいてみると、山にこもっている時は三日にあげずきていたし、そうでない時も十日か廿日目にブラリときて、一円ずつせしめて行ったそうだ。ちょうど事件の時はイモほりなぞの季節で、オタツは山小屋にこもっていたから、ナガレ目はさかんにセシメられている時だった。
「雨坊主の死んだ日、オタツがせしめにきたか」
 その日はこなかったそうである。オタツのくるのは、いつもヒルごろだ。大食のオタツはいくら食っても食い足りないらしく、ナガレ目の食物を荒して何かとまきあげて食うのがタノシミらしかったそうだ。あの日のヒルごろは人々が現場で騒いでいたから、オタツは近くまで来たかも知れないが、姿を見せずに逃げ戻ってしまったろう。
 ナガレ目はオタツのことはみんな喋ったが、雨坊主やガマ六のことは菅谷にも知らぬ存ぜぬで押し通し、ゼゲンでもうけていたことは決して口外しなかった。
 ガマ六や雨坊主を誰かがどこかで見かけたか、これはアイマイで、誰の云うことも当にならなかったが、その谷へ行く道筋にあって谷へ行くには必ず通らねばならぬ部落で、谷の方へ行った人の姿を見た者は誰もない。菅谷はガッカリして戻ったが、途中甚しくノドがかわいたので山かげの小さな寺に立ちよってお茶をご馳走になった。すると坊さんは菅谷の探し物の話をきいて、
「そうですか。その着流しの人物かどうかは分らないが、この寺の裏から丹沢山の方へわけこんだ人が、まれにあったようだ」
「この裏からも谷へでる道がありますか」
「イヤイヤ。そんな道はありません。ですから、私はウチへくる用の人かと思ったが、そうではなく寺の裏手へ登ってしまう。村の人もそうとは知らないから、今日はお客さんのようですね、どなたか見えたようだが、などと私に云う。みんなこの寺へくる人と思うらしい」
 菅谷はハッとした。胸騒ぎがするほど亢奮してしまった。これだ! 空をとび姿を消す魔法の代用品とは、まさに、これだ。夜のヤミを利用するほかに、姿を消す代用品があるだろうか。あるかも知れないと新十郎は云った。まさに、あったのだ。寺へ行く人と見せかけていたのである。ゾロリとした着流しのナゾもそこにあったらしい、と考えた。ところが菅谷の考えを知らぬ坊さんは言葉をつづけて、
「しかし、この裏を登って、どこへ行くのですかねえ。一尺ぐらいの細い道があるにはあるが、ものの十丁も行くと消えてなくなる。以前はそこに炭炊き小屋があったが」
 菅谷はとび上るほどおどろいた。そうだ。むかしナガレ目の炭焼きカマドはここにあったことがある。そう古い話ではない。二年ぐらい前まではここで炭をやいていた。彼は息をはずませてしまった。
「その小屋はいつごろまでありましたか」
「さア。その後のことは知りませんが、炭焼きが他へ移って二三年になるから、小屋はもうないと思うが」
 菅谷は寺をでると、さっそく裏の山へ登った。倒れそうな小さな小屋が、今も残っているではないか。炭焼きの場所を移せば、小屋もそっちへ移しそうなものだが、他へ移さないとすれば、ほかに小屋をつくる材料が豊富にあってのことか、小屋を残す必要があってのことだ。小屋の中をあけてみると、二畳もない小屋の中にムシロがしかれ、片隅に余分のムシロをまいたものがつまれているだけで他に何もないが、ふと隅を見るとちょッと気のつかぬ暗がりにキセル入れの筒とタバコ入れがある。手にとると、非常に高価な品のようだ。金の模様の銀ギセルがそッくり入れたままだ。筒に名が彫られておって、大内とある。それはガマ六の姓だ。つまれているムシロをどけてみると、別に何も隠されていない。荒ナワだのはき古したワラジなどが何足かすててあっただけだ。いずれも炭焼きの用いたムシロであるから炭だらけだが、その黒いのをよく見ると、黒いのは炭のせいだけではない。どうも古い血のようだ。菅谷はおどろいて、ムシロを一枚一枚ひろげてみた。しかれているムシロの上の方の三ツのタバはキレイだが、他の二枚はボロボロで、その黒いのは血のようであった。荒ナワにも血のしみついたのがあった。
 菅谷はそッと元通りにしてタバコ道具と血のムシロとナワだけ持ち帰ったが、その翌日ナガレ目を訪ねた。しかし、いくら問いつめようと試みてもムダであった。知らぬ存ぜぬ、もう二年間あの小屋へ行ったことがないと主張してゆずらなかった。
 菅谷はガッカリして、ひきあげた。そして、上京して新十郎に報告した。新十郎は慰め顔に、
「ガッカリなさることはありませんとも。いろいろのことが分ったではありませんか。特に、ガマ六や雨坊主の魔法の代用品が分ったのは何よりですよ。おまけに、古い炭小屋の存在まで分った。ナガレ目が白状しないのは問題ではないのです。たしかに着流しで裏山へ登った人々はその炭小屋をめざしていたのでしょう。あなたはすでに事件を解いているのですよ。たッた一ツ、いろいろのことを結び合わせるもの、結び目が足りないです。その結び目は炭焼小屋の近くか、小田原か、どこかになければならない。しかし、それが分らなくとも、すでに事件は解かれております」
 きいていた菅谷も花廼屋《はなのや》も虎之介もアッとおどろいた。特に菅谷は冷汗を流して、
「どうも私には分りません。ガマ六の屍体をムシロにつつんで夜に入るのを見すまして汽車の線路へ持って行くには、ただ歩いても一時間半、二時間ちかくかかりましょう。まして重い屍体を運ぶなどとは人間業ではありません。怪力無双のオタツだって、そんなことはとてもできません」
「むろん、できませんとも。しかし、この事件はそんな風に行われたものではないのです。とにかく、下曾我へ行って、結び目をさがしましょう。それが分れば別に複雑な事件ではないのです。明朝一番で出発いたすと致しましょう」

          ★

 明朝の一番では海舟邸の朝詣りが間に合わないから、虎之介が慌てて海舟邸へかけつけたのは夕食前だ。その時間が訪問に不都合だなどと云っていられぬ。
 しかし、それから二時間後、クラヤミの氷川町へ現れた虎之介はガッカリしたように首をふりふり、感無量であった。
「先生がモウロクされたとは思われぬが、年のせいか、どうも夕食すぎはにぶっておられる。キリンも老ゆれば虎に及ばずか」
 虎之介はシャレにならないことを呟きながら、ブリブリしている。
 翌朝顔がそろって、一番列車にのりこむ。花廼屋が虎之介をからかって、
「どうだ。氷川詣での御神託は?」
「夕食後はいかんわい。ボケておられる。オタツの怪力は分ったが、美人であろう、どうだと仰有る。知りませんナ。美人らしくもないようですな、と答えると、そこを知らずにタンテイができると思うか、オタツは美人にきまっている。世界中に一番助平なのは、遊女屋の客ではなくてそこの亭主だとさ。奴らが女をさがしにでるのはお客のためではなくて自分のためだ。どこかに今まで見たこともないような珍しい女がおらぬかと考えている。タダの女にあいてるのだな。そのような色ガキにオタツのような女はふるいつきたいような魅力だ。そこで言いよる。オタツも色を好む女だから、炭焼小屋で身をまかせたが、大金を所持しているのを知って男どもをヒネリ殺してしまった。オタツは小男を可愛がるが、大きな男や偉ぶった男はひねりつぶしたがる女だそうだ。虎もひねりつぶされないように気をつけろ。オタツは大そう美人だぜ、だとさ。アッハッハ。海舟先生も衰えたなア。年寄が諸事助平と見たがるのは、危い年頃だぜ。これを後世、老年期、あるいは老いらくの危機と云うなア。お前なんぞは若いうちから、危機つづきだなア」
 虎之介は海舟先生のミタテ違いに腹をたてて、花廼屋にまで毒づいている。
 国府津から人力車を急がせて小田原へ。ガマ六の家へ行ってタバコの道具を示して彼がこのたび持って出たものに相違ないのをたしかめたが、
「旅にでる前に、誰か人がきて御主人と打ち合わせていた様子はありませんか」
「別にそんなこともございません。フイに思い立ったように旅にでる習慣でした」
「御主人の毎日のきまった習慣はどんなことでしたか。朝起きて、顔を洗って、それから」
「夜がおそい人ですから、起きるのはヒル近いころですが、目をさますと花房さんへ朝湯につかりに参ります。ちょうど目をさますころ、十一時ごろが、あの銭湯の開店時刻なんです。ですが最近は遠い銭湯へ行ってましたネ」
「それはいつごろからでしょうか」
「そうですねえ。そうそう。お隣りの質屋の息子が窓から女湯をのぞくとかで高い塀をたてたでしょう。主人はヒドいことをしやがる、とブリブリ怒ってましたが、そのころから行かなくなったようです」
「それは珍しい話ですね。質屋の息子とこちらの御主人は仲がよかったんですね」
「以前はいくらか、何か、あったようですが、近ごろは訪ねて来なくなりましたね」
 風呂から戻って飯を食うと、箱根の店を三軒見廻りにでて、それからよそへ廻ったりして、おそく帰ってくる。それだけの生活だという返事であった。
 新十郎は花房の湯でも同じことを内儀にきいた。この内儀は良人《おっと》の死因に疑いをもっているから、よく考えながら、
「そうですねえ。旅にでる前に特別誰かと打ち合わせもしませんでしたね。いつも急に思いたつのですよ。毎日の習慣と申しますと、私たちは夜がおそい商売ですから、朝寝で、おヒルちかくまでねていますが、あの人は建築業をやってますから、早起きで毎日九時ごろには起きて店の表へ出て『本日十一時開店』の札をだします。いえ、札を裏がえしにするんです。私たちがねる前に『本日終業』の方をだしておきますから、その裏を返すと『十一時開店』がでるのです。それから食事して、私たちの知らないうちに仕事にでてしまうのです。ですが、最近は、夜あけごろに一度目をさまして、入口の札を直したそうです。その後また一ねむりしたそうですが、そんなこまかいことが気にかかるのも、こうなる知らせと申しましょうか。なんとなく神経質でしたよ」
「塀を高くしたのも、朝早く起るようになったのと同じころからですね」
「塀を高くしたのは、それよりも早かったようです。私が高くしたのです。お隣りからのぞく人がいて困るというお客さんの言葉を再々きくようになりましたから。それは半年以上も前のことで、主人が朝早く起るようになったのは、それから三月四月もたってからでしょう。死ぬ二月前ぐらいからです」
 新十郎は厚く礼をのべて去ったが、再びガマ六夫人を訪れて、
「失礼ですが、御主人がよその銭湯へ行かれるようになったのは、御逝去の一月か一月半ぐらい前からではないでしょうか。ちょッと大切なところですから、よく思いだしていただきたいのですが」
「そうかも知れませんねえ。私にはハッキリ分りませんよ」
「で、それから何か他の習慣にも変りがありませんでしたか」
「そうですねえ。花房の湯は色街のくせに開店がおそい。それを怒ってましてね。朝がえりのお客の間に合わないでしょう。主人も目を覚すのが早くなって、花房のひらかぬ時刻に、店のお客の朝がえりと一しょぐらいによその朝湯へ行くようになりましたよ。六時ごろでしょうねえ。五時半か六時半ごろ」
「朝湯のあとで一眠りなさらなかったでしょうか」
「よく御存じですね。朝酒をのんで、ヒルすぎまでグッスリ一ねむりでしたよ」
「どうも、ありがとう」
 新十郎はそこをでるとニコニコして、
「どうやら結び目が分りましたよ」
 彼は小田原の警察署で署長と密談していたが、たっぷり二時間もたってから、よう
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