ようなことがありましたか」
「人様の噂では、恥をかかせた、仕返しをしてやる、そんなことを言っていたとかききましたが、直接当方へそんなことを言ってきたことはございません」
 菅谷が質問につまっていると、内儀は改まって、
「納棺のとき皆さまがフシギだと仰有ってましたことは、正面から角で突きふせられているのに、うつむいて地面に押しつけられたように口に土をかんでおりまして、鼻の孔の中にもいくらか土がついておりましたことです。これは、どうもワケがわからない。どんな風に牛に突き殺されたのか、まるで謎のようだ、と皆さまがフシギがっていらしたのです」
 菅谷はうなずいて、
「それは本官もフシギに思っておりました。御主人はあまり御壮健とも思われませんが、時に挙止に自由を欠くような持病でもお持ちでしたか」
「特別壮健ではございませんが、若いころは船乗りで、相当に身体のシンはできた方で、特に持病もございませんし、オメオメ牛に突き殺されるほどモロイ人だとも思われませんが、あいにく防ぎにくい場所で間が悪かったのかなどと皆さまがそれもフシギの一ツに算えておりましたようです」
 そこは牛の姿を隠す特別の場所だから、非常に木立のしげったところだ。菅谷はそれを思い出して考え直してみたが、しげみが深いということは、時に逃げるに不自由かも知れないが、攻撃をよけるに好都合な意味もあるに相違ない。ところが雨坊主が突き伏せられたのは、シゲミのマンナカあたりで、ちょッとした広さのほぼ中央だ。そこに屍体があって血だまりはそこにしかない、ただ一ヶ所しかない小さな広さのマンナカに殺されているということは、つまり、彼は逃げなかったということを意味しているのではなかろうか。
 雨坊主はなぜ逃げなかったか? 逃げられない特別な理由が有りうるだろうか?
 菅谷は、自分の頭が単に謎を提出するだけで、一ツも解く力がない、ということをイヤというほど思い知って切なかった。どうも観戦記、イヤ、批評家的で、実戦の役には立たんようだぞ、と薄気味が悪くなったのである。
 しかし、勇気をふるい起して、質屋のノレンをくぐった。大きな懐中時計を質におくフリをして色々値ぶみをしてもらって、安いだのもっとならないかと、手間どってみたが、倅は店に現れないし、よびたてて会うだけの都合のよい方法も見当らない。やむを得ず、時計は懐中に再び収めて店をでた。会ったわけではないが、人々の話を綜合したところでは、好男子で、無口で、陰気な男だが、田舎娘や女中などをまるめこむには特別の技能があるという。非常に利口で、全てにつけて考えが行き届いているが、痩せ型で至って非力な男だと人々は云っている。ところが、こうと思いこむと執念深くて、必ずやりとげるような根強い実行力があり、人々に、否、ガマ六のような腕ッ節の強い、世渡りに自信のある老獪な渡世人にまで、怖れられていたという。
 この事件がもし他殺とすれば、非常に腕力を必要とする。ガマ六のような腕自慢を一人で倒すには余程の力が必要であろう。
 誰の目にも非力であると云われる質屋の倅がガマ六を倒しうるか。彼には欠けた力を補うに足る才の力があるらしい。
 けれども、ガマ六のような強力な人物を策によって力に代え、これを殺しうる方法がありうるであろうか。しかも、ガマ六が鉄路に横たえられて汽車にひかれたのは日がくれてからたった四十分の後である。
 その近くに彼の根拠地があれば話が分るが、そのへんはすべてを暗《そら》んじている菅谷の城下お膝元、自慢ではないが、自分の土地について、自分の知らないことを人が知っているような不案内な所が、一ヶ所でもあろうとは思われぬ。たった四十分間に人に知られず殺したり鉄路に横たえうるであろうか。しかも己れの何倍も強力な力持が相手である。前夜に殺したとすれば日中人知れず隠しておいて、たった四十分間に、隠し場所から運びだして処置することは、さらに複雑面倒ではないか。しかし、凡人の考えあたわぬ難事を為しとげるのが、即ち彼の特別の才であろうか、菅谷は地形から可能の場合を考えてみたが、草深い田舎ではあるが、人家がないわけではない。田舎の地形というものは、無人の田圃《たんぼ》は平地で隠れ場がなく、人家は繁みの中にあり、またどこの繋みに人目があるか分らぬもので、人知れず事を行うに決して安全というわけではない。隠れ家を考えられないのである。
 現場に最も近い人家はオタツとカモ七の家であるが、住む人物が特別だから時々騒ぎも起るし、騒ぎがなくても菅谷も、月に一度ぐらいは見廻りに行って、二人の風変りな男女の生活はよく心得ているが、二人は山腹の痩せ地をよく耕して、苦しい生活もしていないし、陰のある生活もしていない。オタツはカモ七が好きなのだ。こういう世に稀れな力持ちの大女は小男で働きのないカモ七のようなバカな能ナシが好きと見えて、カモ七が十九、オタツが十七の年に両名相談の上、オタツはカモ七の親のところへ、カモ七はオタツの親のところへ二人の結婚の承諾を求めに行った。
 カモ七はオタツの父にいきなり飲みかけのお茶をぶッかけられた。するとカモ七は、
「お茶をぶッかけたのはオレとオタツを祝ってくれたのか。オレはお茶だと思うが、しかしお前は白湯《さゆ》をのんでいたのかも知れないな。いまオレにかけたのはお茶だろうか白湯だろうか、どっちの方だ」
 云い終らないうちに火吹竹で十あまり殴られて戸外へ投げとばされてノビてしまった。
 オタツの方はカモ七の母親に散々からかわれ、おまけに野良帰りの足を洗っていたカモ七の父に足を洗った水をぶッかけられたので、オタツは赤々とふくれ上って、近くにあった火吹竹を一握りするやカモ七の親父の頭を十あまりぶッて、ノビたのを近所のタンボまで運んで投げこみ、その頭から肥をかけた。
 村の者が相談の結果、二人風変りの恋人を一しょにさせて、遠い山腹の痩せ地を与えたが、オタツは力に物を云わせ木をぬき肥料をかつぎあげ、立派な畑にしあげて村人をアッと云わせ、二人の生活は至って平和であった。もっとも一週のうち一度や二度は突きとばされたり殴られたりしてカモ七がノビたり、顔を腫らしたり、骨を折ったりしたが、カモ七の骨は粘り気が強いらしく、じき治ってしまう。山腹の畑の方にも小屋をつくって、忙しくなるとオタツは山小屋にこもったが、留守番のカモ七は朝と夕方山へ食べ物を運ぶついでに、トリイレのムギやイモをいくらか運び下す程度で、日中と夜間は何もしない留守番だった。その期間山と下で別々にくらす二人が人に分らぬ秘密の生活をしていたにしても、山小屋は遠く離れていて、ただ歩くだけでも現場から四十分以上はタップリかかるし、ウスノロで非力のカモ七に気のきいた犯罪はできそうにもない。
 菅谷はどうしても何か秘密があるし、誰かが殺したに相違ないと思ったが、本署の方では一方は酔っての過失死であるし、他方は牛が犯人だときめて動く様子がないし、いくら考えても自分の力では謎が解けそうもない。そこで上京のツイデに思いきって結城新十郎を訪ね、今までのことをみんな語って判断をもとめた。

          ★

 新十郎はきき終って、
「あなたは一番大事なことをよく見ていらッしゃる。汽車にひかれた人に所持品がなく、そこは人の通るところでもないから、自殺や過失でなくて他殺であるということ。また牛に突き殺された人が逃げたらしいところがなく、広さの中央で後向きに突き殺されているし、所持品もないから他殺であるということ。多分、お考えの通り他殺でしょう。また日がくれてから四十分しかなかったから、犯人はその時間中に仕事をしたに相違ないこと、これも正しい判断です。つまり、人間は魔法使いのように決して空をとんだり姿を消したりして仕事をすることはできません。ただ何かを利用すれば姿を消したり空をとぶ魔法と同じことがやれる。夜の暗闇を利用するのがその一ツなのですよ。ところが雨坊主の方は暗夜にはとても辿りつけないような山中の径《みち》もない谷底で死んでいる。夜を利用して行けないとすれば、どういうことになるでしょうか。誰か彼が谷の方向へ歩いている姿を見た人があったか、誰にも見られていないとすれば、何を利用して姿を消して歩くことができるか。ここに、それに関聯して考える必要のあることは、ナガレ目は一年前からその谷へ通っていたらしいし、オタツも時にそこへ現れていたらしいが、彼らがそこへ通う姿は誰にも見られていなかったでしょう。しからばこの二人はすでに何かを利用して魔法の代りに身を消す方法を用いていたに相違ないのです。二人の方法を突きとめると、第三人目四人目の人間の用いた方法のヒントをうることができるかも知れません」
 実に平凡なことではあったが、急所であった。菅谷は愕然として、名探偵の顔をみた。その顔は親しげな笑みをたたえて彼をやさしく見つめているが、菅谷はその親しみをこめた笑みや眼差しをうけるに値しない身の拙さを省みて、赤らんでしまった。
「次に重大なことは、ナガレ目とオタツが谷へ行くことは秘密のアルバイトですから姿を消して行く必要はありますが、殺された人たちは姿を消して行く必要があるでしょうか。あるとすれば、それは何か。また、ナガレ目とオタツと被害者のほかの誰かがその谷で彼らがアルバイトをやってることを知っていたか、どうか。たとえばガマ六や雨坊主などが、小田原から下曾我方面へ向ってどこまで人に姿を見せているか、それを突きとめてゆくと、彼らがどこから姿を消したか分ってくるでしょう。次の知るべきことは、それと同じところまで姿を見せて同じ方向に歩き去った他の人物があったか、どうか。これを突きとめると限界が分ってきて、誰が犯人でありうるか、というヒントの一ツになります」
 新十郎の顔はひきしまった。
「そっちへ歩き去った他の人物の有る無しを探る場合に、たとえば質屋の倅というような特殊な一人を想定してはいけません。いつも白紙で、とりかかることです。小田原の人ばかりでなく、他の土地の人も、同じ村の人も、とにかく誰であってもかまいません。犯人は誰でもありうるのです。その犯人が見つかるまでは、全部の人が容疑者であるし、もしくは誰も容疑者ではないのです。今、申し上げた二ツのことを探してから、また、いらッしゃい」
 菅谷は心からの尊敬を新十郎にいだいた。そして、食事を一緒にとひきとめられたが、それどころではなく、事件の解決にはげしい情熱と希望を得て、いそいそと下曾我村へと帰途についた。
 ナガレ目とオタツは許されて村へ帰っていたから、二人を訪問して、さりげなく訊いてみると、二人は菅谷とは親しくなっていて警官という特別な考えは元々少いところへ、留置場でいかつい刑事に接して、ふだん親しい菅谷に対しては半ば軽蔑と、それだけ親しみも増すようになっている。そこで谷へ通う方法を警戒もせずに語ってきかせた。
 ナガレ目は人のねしずまる深夜に往復していた。ところがオタツは道のない山や谷をわたって昼でも人に知られず谷へ行くことができると云った。ナガレ目も同じことができるのだが、彼は牛をひいているから、なるべく深夜に平易な道をとったのである。
 オタツが谷へ通うのは山の畑に山ごもりしているとき、そこから山づたいに誰にも知られず谷へ通うことができるのだ。
 オタツは偶然ナガレ目のアルバイトを突きとめて、時々材木を運んでやるから運賃をよこせというのを口実にして、口止め料をかせいでいた。一回一円であるが、ナガレ目は炭の運送料から算定して一銭でタクサンだと云ったが、オタツは腕ップシが強大だし、意地ッぱりだし、秘密を握ってもいるから、時々一円まきあげにきた。その代り、大の男でも一人で担げない材木を三本ぐらいまとめて運んだ。それは親切のせいではなくて、そうしても苦にならないから、やってるだけのことであった。このことは二人だけの秘密であるから、二人が敵味方にわれて大論争になっても、二人とも警察で一言もこれにふれなかった。オタツも自分がたかっているのを言うわけにいかなかったのだ。
「一円は安いから、値
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