ない筈はない。ヤクザ同士のモツレじゃ相手悪しと見てごまかしているのかも知れん。オレだけが名タンテイぶって、あんまり深入りするのも考え物かも知れないなア、と一応悟るところもあった。

          ★

 ところが更に奇怪なことが起った。
 下曾我からかなり離れているが、丹沢山の山中へ深くはいったスリバチ型の谷に非常に良質のヒノキが自生しているところがある。ここは入会地《いりあいち》ではなくて、所有者がハッキリしていて山番も居り、ひそかにこのヒノキをきりだして徳川時代に死刑になった例があるから、大工や普請好きの面々にスイゼンの良材の宝庫であるが、誰も踏み入ることのない秘境であった。
 この秘境から一匹の大牛が猛然と走り現れた。この牛は狂っている。牛が狂って全速で走るとゴムマリがはずみながらころがるように、背をまるくして小山のように大きくはずみながらポンポンとマッシグラにとび去るものだ。人里へ現れ、おどろいて怖れ隠れる人々に目もくれず下曾我までとんできた。とまったところはナガレ目のウチの牛小屋である。そこがその牛の小屋であった。ナガレ目の飼い牛ベンケイであった。
 ベンケイの角と顔が
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