れば、第一号を突きとめるのは不可能ではなかろうが、その名が喧伝されていないのは、その手口の発見が教祖の名にかなうほど卓抜なものと認定されないせいかも知れない。なるほど、そう云えば、遠い国から志を立ててケゴンの滝や三原山へ身を投げに行く人はあるが、鉄道自殺の方はその土地に有り合せだから、これで間に合せようという性質のもので、汽車の通らぬ山奥の人が、オレはどうしても鉄路を枕に死にたいと云ってハルバルでかける性質のものではないらしい。
 現代人は自殺好きだが、昔の人は自殺ギライである。もっとも、自殺する人間は昔も今も変りなく存在したのだが、自殺しない人間の趣味として、現代は自殺好きだが、昔の人は自殺ギライというわけで、ケゴンの滝や三原山だと遺書もあるし飛びこむところを見た人もいるから、いかに自殺ギライの昔の人でも、これを自殺でないとは云えない。ところが鉄路の場合だと、うッかり汽車にひかれた、という。ふだんボンヤリしてる奴だから、とうとう汽車にひかれやがった、ということになる。
 誰も鉄道自殺というような概念を持たない時代に、鉄道自殺を偽装した殺人事件が起った。ちょッと妙な話のようだが、調べて
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