赤になり、ムクムクとふくらみ、眉がつりあがって、目玉が石になって、鼻の孔がにわかに二ツの奥の知れない大きなトンネルができたように思われた。米を炊く泡がみるみる盛りあがるように肩が天井にふくれそびえたが、そのとき大きな鷲が二ツの翼をユーレイの両手のように前の方へそろえてワッとひろげた。そう見えたのは着物の下のことではあるが二ツのお乳が髪の毛を束ねて逆立てたようにフワッとふくれて逆立ったのだそうだね。そのときは署長も探偵も呼吸がつまっで死ぬところだったという。しかし、この時はまだ穏かな方であった。ナガレ目はヌラリクラリとラチがあかないが、オタツは断々乎として無実を主張してゆずらないから、二人を会わせた。このときこそは大変であった。
 オタツの全身が無限にふくれて、とどまるところがないように見えたが、その一瞬にナメクジよりもノロマなナガレ目が電流の如くに術を使ったという。人々の目は(彼らはタンテイである)如実に認めることができなかったが、オタツのフクラミがとまらぬうちにナガレ目の姿は署長の後に隠れていたのだそうだ。彼は署長の両肩に手をかけてそッと首をだして、
「オレは何も言わないよ」
 オタツは益々怒って息をととのえるために苦しみ、頭や額の汗が下方へ流れずに四方へ傘状にとび散った。それは胸から顔へと押しあげる恐ろしいボーチョウの力によるものだということである。
「オレがいつ山の木を伐ったか。お前はそれをいつ見たか」
 オタツは唸った。オタツは雄弁ではないから、それを補うためにナガレ目をワシづかみにする必要があったが、それが出来ないので、益々不自由のようであった。
「オレは見たよ」
 ナガレ目は落ちつき払っていた。しかし言葉はそれだけであった。
「いつ見たか」
「見たよ」
「お前はオレに伐った木を運んでくれと頼んだろう。オレが運んだのは、お前が伐った木だ」
「お前が運んだからお前が伐った木だ」
「この野郎。ウソツキめ!」
 二人の口論はこれ以上に発展しない。同じことをくりかえすだけだ。ナガレ目はオタツとの口論に限って冷静そのものの様子になったが、オタツは亢奮して言葉を失ってしまう。ナガレ目の言葉はこの口論に限って論証的であった。お前が運んだから[#「から」に傍点]お前が伐った木だと云う。この時に限って論証的であるのは、事実無根のことを屁理窟で言いくるめているように一応は考えられる。常識的にはそう考えられるが、そう目安《メヤス》が彼に当てはまるかどうかも疑問であった。
 オタツとナガレ目がはげしい論争をくりかえして、論争の結果は必ずしもオタツに有利でないことをきいて、オタツの亭主のカモ七が菅谷巡査につれられて警察へ陳情にきた。カモ七を見ると探偵たちは異様の感にうたれた。カモ七の目は流れていなかったが、顔全体が流れているようなものだった。どこにもシマリがない。何かが留守でなければ、こんな顔にはならないだろう。ところが一ツだけ目ざましく雄大で生気があるのは二ツの耳であった。カモ七の頭の中央がピョコンと尖っていなければ、頭と耳の高さが同じぐらいであろう。その幅もカシワモチが包めるぐらい広かったが、しかしウスッペラではなくて人目にふれずに見事に天寿を全うしたキノコのように肉ヅキがふくよかであった。この耳を育てるためにうまれてきたように見え、彼の全体が鉢植えのキノコ、たしかに植物のように見えた。
 カモ七は一同にオジギすることを忘れていた。彼が警察へきたとき、ちょうどオタツとナガレ目の第何回目かの対決中であったから、彼はのぼせて、道々言い含められたことを忘れたのかも知れない。菅谷巡査にこづかれると、彼は切なそうに、
「オタツ、やせたなア」
 と涙ぐましい声をふりしぼった。それは何物も思い出せなかった代りに、あまりの切ない現実に目をうたれた真情をあらわしていたが、誰の目にもオタツのやせた様子は認められないので、タンテイたちはギョッとして、これから、どうなることかと思った。
 けれどもカモ七は見かけは留守のようであるが、実に驚くべき雄弁であった。
「オタツのウチがマンナカで、オレのウチとクサレ目のウチがアッチとコッチにありました」
 と、手で地図を説明するように器用にふりながら、誰の存在もそう大して気にかからないように、彼は演説しはじめた。クサレ目というのはナガレ目の他の表現だが、クサレ目の方がきびしいらしく当人がテキメンに立腹するから、彼を侮辱するために呼びかける時はクサレ目を用いるのが普通であった。
「オレが十一のときオタツが九ツで二人は夫婦の約束をしましたが、クサレ目はオタツに惚れてヨメになってくれとたのんだがクサレ目はキライだからとことわられました。そのときからクサレ目はオタツにもクサレ目をうつしてやろうとオタツの通りかかるのを隠れて狙ってい
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