。先月の終りから北海道へ官命で視察にでて、二十日すぎでないと戻らない。ところが留守の家族は、今度のお盆によんどころない墓参の都合があって、主人が出張で行かれないから、妻ヤスノ(三四)が多津子(十五)秀夫(十二)大三(七ツ)の三子をつれ、家令今村左伝(六二)同人妻カメ女(五五)と、ハツエ(二二)佐和子(十七)という二名の女中をも供にしたがえて故郷九州に旅立ち、これも明十九日か、二十日ごろまで戻らない。
 残っているのは大学生の長男由也(二三)。あとは召使いだけで、三枝子(十八)オソノ(十八)の女中二名と、馬丁の当吉(三八)同人妻ラク(三六)、主従合せて五人だけだ。さて、このうちの三名までが、主というほどでもないが、その次席ぐらいの雷ギライで、
「留守中心配もあるまいが、カミナリの時だけは気がかりですね。その時だけは三人のカミナリ病人はとても仕方がないのですから、三枝はシッカリして下さいよ」
 と、主婦ヤスノは出発に際して笑いながらもこう言い残したほどである。当吉夫婦とオソノはまさしくカミナリ病人で、カヤをつり、フトンをひっかぶって、呼べど叫べど叩けど、主命とあってもカミナリの音あるうちは汗のしたたるも意とせずフトンをかぶり通すという手の施しようもない病人であった。
 家令今村夫妻のどちらかが留守してくれると心配はないのだが、このたびはよんどころない重大な墓参、心きいた夫妻がいないと差支えがあって、どちらを残すわけにもゆかない。しかし当吉夫婦はカミナリ以外の時は信用のおける人たちだから、特に留守中が不安というほどではなかった。
 邸内には馬小屋と並んで馬丁当吉夫婦の小住宅がある。主人不在中だから妻ラクだけは本宅の女中部屋へ泊りこんでいた。そこで当吉は女中部屋で一同と夕食を共にしてからいったん自分の小屋へ戻ったが、ピカリときたので、うかない顔で本宅の女中部屋へ現れたのである。とても一人でピカピカゴロゴロに抵抗できない心中察すべきである。
 そのうちにゴロゴロがはじまったので女中部屋にカヤをつり、一ツのカヤ中に男女寝床を並べるなどということをトヤカク考える理由はこの際の三人の当事者には一切念頭にないのだから、すこしでも味方の多いに越したことはなく、いそいで三ツの寝床をしいて三人のカミナリ病人はフトンをひッかぶり、貝が敵襲をふせぐようにピッタリとフタを閉じてしまったのである。フタをとじるのはピカピカの侵入をふせぐためと、ゴロゴロの音を小さくするための最上の策だ。
 そのうちに雷雨が猛然ときたから、三枝子は各部屋の雨戸をしめてまわる。大学生の由也は夏休み中でもあるが、父母が居ないから連日外出して帰宅がおそく、時には泊ってくるようなこともある。外泊は今まで例のないことであるし、帰宅が十一時十二時をすぎることも父母の居るときは例の少いことであったが、父母の不在になってからは殆ど連日のことで、この日もまだ戻ってこない。三枝子は各部屋の雨戸をしめ、門もしめてクグリ戸だけカンヌキをかけないでおいた。また、由也の部屋には寝床をしき、机上の燭台に火ウチ石とツケ木をそえて、彼が帰宅してもまごつかぬように揃えておいた。また土ビンに水をいれて湯呑みを添えて枕元へおいた。
 三枝子が以上のことを果したことがなぜ判るかというと、三枝子が各部屋の雨戸をしめるために立上ったとき、当吉がフトンの中から声だけだして、門をしめることをたのみ、ラクは由也の寝床のことをたのんだ。これは両者の果すべき役割で、この家のサムライ気質のせいか、由也の寝床の始末だけは若い女中がやらずにラクがやる。
 さて三枝子が頼まれたことを果して戻ってくると、当吉はフトンのフタをあけずに、クグリ戸のカンヌキはかけずにおいたかと確かめたし、ラクは机上の燭台のことと枕元の水のことを確かめ、由也はまだ戻らないことも確かめた。
 いよいよゴロゴロが頭上にせまってきた。ピンピンキーンとはりさけるような落雷音。天地はわれる思い。由也が帰宅したのはそのさなかである。三枝子が「ハイ」と叫んで立上ったようだから、オソノが、
「なアに?」
 フトンのフタをあけずにこうきいた。オソノだけが質問したのは、まだしも彼女が一番生色が残っていたせいらしい。
「お帰りのようだわ。今、そこでお手が鳴ったの」
 三枝子はこう答えて去った。お手が鳴ったというが、雨戸をうつ豪雨の物すごい音のさなかではあるしフトンのフタをシッカと閉じた三名にはそのお手の音がきこえなかったが、三枝子はそこで[#「そこで」に傍点]お手が鳴ったという。由也の部屋は女中部屋からズッと離れていて、大豪雨と大雷鳴の最中に部屋でお手を鳴らして聞えるとは思われないから、わざわざ女中部屋の近くまできてお手を鳴らしたものらしい。玄関にも距離があるので、由也が玄関の戸をあけて戻
前へ 次へ
全14ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング