かは疑わしい。
倉三夫婦は別に自炊し、ミネは自分の副食物やさらに主食をとるために内職しなければならなかった。
昨年、倉三の女房お清が死んでからは、左近は自炊するようになり、居間の掃除もセンタクも自分でやって一切ミネの手が介入することを許さないばかりでなく、それを機会にミネに御飯を配給するのもやめてしまった。
倉三は草雪に返盃して、
「私どももその時までは夫婦合わせて四十五銭のお給金をいただいておりました。実は五十銭いただく筈ですが五銭は家賃に差ッ引かれますんで。ところが、お清が死んでから、私のお給金がにわかに二十銭に下落いたしましたんで。男と女の給金が半々同額てえのも聞きなれないが、二十二銭五厘じゃなくって二十銭。当節は男の方が二銭五度安うござんすかと伺いを立てますてえと、五十銭の半分が二十五銭。そこから五銭の家賃を差ッぴいて二十銭。ねえ。半々にわるてえと二銭五厘もうかりますねえ。あの人のソロバンは」
「なるほど。しかし、お前もよく辛抱したが、あの令夫人はお子供衆や身寄りがないのかい」
「サ、そのことで。実の子が三人おありなんですが、むろん、利口者の奥様がジッと御辛抱なさるのも子供のため。少からぬ遺産があるに相違ないとの見込みでしょうが、こいつが実に謎の謎。イエ、お宝の有る無しじゃアございませんよ。そのお宝の持主が人間ではないとなると……イエ、まったくの話で。水野左近は人間ではない。鬼でござんす。しかも明日……」
酔ってもいたが、倉三の目が光った。
★
ミネは左近に嫁して三人の子を生んだ。ところが幕府瓦解とともに左近の人柄が変った。イヤ、変ったわけではない。もともと金銭にこまかく、疑り深くて、人情に冷淡。家族泣かせの左近であったが、外部に対しては如才のない社交家で、人のウケは大そうよい。幕府時代は家族の者にも身分相応にちかいことはしてやらなければならないから、さしたることもなかったが、幕府瓦解とともに左近の本性あらわれて、
「徳川あっての旗本だが、主家が亡びては乞食よりも身分が低くなったのだから、世間なみ、人間なみのことはしていられん。子供などを育てる身分ではなくなったし、子供もオレの子ではない方が幸せにきまっているから、今のうちに振り方をつけなければならん」
こう云って、きかばこそ、長男の正司、そのころまだ十という子供を、玉屋という出入りの菓子屋へデッチ奉公にやってしまった。
「御大身の若様を手前どものデッチなどとは、とても」
と玉屋は拝まんばかりに辞退したが、
「大身などと昔のことだ。主家を失えば路頭に迷う犬畜生同然、道に落ちた芋の皮も拾って食わねばならん。恥も外聞も云うていられん。せめて子供には手に職をつけて麦飯ぐらいは食えるようにしてやりたいから、よろしくたのむ」
と、菓子屋の小僧に住みこませてしまった。次のリツという八ツの娘は子供のないお寺の坊主に養女にやる。ミネは悲歎にくれて、養子養女にやるならせめて同じ旗本のとこへと頼んだが、左近は怖しい剣幕で、
「旗本というのはみんなオレ同様、野良犬だ。坊主や菓子屋は白米もヨーカンもたべられる。貴様も米の飯がたべたいなら、オレのウチにいるな」
しかし、ミネもそのときは必死であった。自分の実兄、月村信祐に子がなかったから、左近に懇願して、次男の幸平を月村の養子にすることができた。そのとき左近は月村の前で、
「どうせ貴公も道におちた芋の皮を食うようになるだろう。芋の皮を食うようになっても、野良犬に親類はないから、どっちの軒先にも立ち寄らんことにしよう」
月村が顔色を変えると、
「野良犬が道で会って挨拶するのはおかしいが、せめて噛み合わんようにしたまえ」
と言いすてて、さッさとその場を去った。奉公人にもヒマをやって、残ったのは倉三、お清の夫婦とその一子常友であった。
常友はお清の子だが、父は倉三ではなかった。左近にはミネの前に死んだ先妻があった。先妻には一男一女があったが、その長男が女中のお清に孕ませたのが常友で、それを知ると、左近はお清を馬丁の倉三と一しょにさせ長男を勘当して大阪へ追放した。というのは、左近はそのころ船舶通運を支配するような職にあったが、大阪の船問屋が事故を起して彼の取調べをうけていた。左近はその船問屋を懲罰釈放するに当って、オレの勘当した倅《せがれ》を大阪へ連れて行って、町人にしてしまえ。もうオレの倅ではないから大事にするには及ばんが、自分で働いて食えるように取りはからえ、と放りだしてしまったのである。この倅は大阪へ住んでから幕府が瓦解するまでの十年間は、親の威光があるから遊んで暮して遊里に通じ遊芸を身につけ、維新後は東京へ戻って幇間《ほうかん》となり、志道軒ムラクモと号している。
常友の父はムラクモだ。左近の孫で
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