、架空のニンシンをはじめた時から予定していたことでしょう。ところが、架空の風守を生んだ母はウマズメでした。時日をへても真のニンシンがないので、真の後嗣を生むべき人のために自害して果てました。しかし、真実の後嗣を得たときに、いかにして架空の風守を消滅せしめるか。英信の謎の言葉はこれを言っているのです。生きているのはやさしいが、死ぬのはむずかしい、という言葉が、それです。誰か代りの屍体がなければなりません」
そのときだった。早馬の使者が新十郎邸へとびこんできた。応対にでて、使者と話を交した新十郎は、一通の書面をたずさえて戻ってきた。
「八ヶ岳の麓から早馬の使者が英信の遺言状をたずさえて来たのです。英信は私宛の告白をのこして自害しましたよ。私が説明するよりも、告白状がすべてを語っております」
新十郎は告白文を二人に示した。それは次のように語られていた。
結城新十郎さま。
私はこの事件に直接手を下した犯人ではありませんが、私の一生はこれと共に終るべき運命を負うて生れたようにも思われますので、一切のことを申上げて自決することに致します。
多久風守と申すお方はこの世に実在したお方ではありません。まれに覆面をつけて人目に現れた風守さまは私自身でありました。早急に一応の後嗣を定めるために大殿さまが苦心の末に編みだしたカラクリでしたが、四年を経てもまことのニンシンが起らぬために、架空の後嗣風守さまの母は真の後嗣の母たるべき人のために覚悟の自害をとげられた由であります。風守さまの人デンカン、覆面、座敷牢、唯一の御相手たる私、それらはすべて大殿さまと良伯医師と私の父が合議の上で予定をたてた計略でありました。その計略が成功して、今日まで疑う者のなかったことは、御承知の通りであります。
私が藤ダナの下で光子さまに風守さまの死期近きことを予言しましたのは、魔がさしたと申しましょうか。わが身に定まる運命を忘れて、おろかにも俗心、盲いた心の迷いでありました。いつしか多少の才にうねぼれ、西洋へ遊学させてやろうという大殿さまのお言葉を励みに、身に定められた義務を益々忠実に果すべきでありましたのに、義務をすてても遊学をいそぐ心の迷いが生じたのです。とにかく遊学するためには、風守さまをこの世から消滅せしめる義務を行う必要があります。いかにすれば消滅せしめうるか。代りの誰かを焼き殺して白骨を残さなければなりませぬ。かの別館はそれを予定して建てられたものでありました。しかし、いかにすれば代りの誰かを焼き殺すことができるでしょうか。予定の計画によれば墓をあばいて屍体を焼く筈でありました。しかし私の単独の力では、それを為しとげることはできません。遊学したい一念に思いみだれた私は、不覚に、藤ダナの下で、心の迷いを露出してしまったのです。はやく風守さまを消滅させたい願いは近づいた死期の予言となり、それを欲して為し得ぬ悩みは、生きているのはやさしいが死ぬことはむずかしいと言葉となって表れたのです。私自身の生死のことではなく、風守さまという架空のお方の生死について偽らぬ感懐でありましたろう。
コクリサマの予言を見て確信的に否定したのは、風守さまを殺す者が私自身であるによって当然のことでありました。私はみたし得ぬ心に足おもく別館へ戻りました。、すると、別館に忍び入る意外な人物を見出しました。それは言うまでもなく木々彦であります。私は誰何《すいか》して口論を重ねましたが、酔い痴れた彼があくまで謎の人物風守さまを一見したい、彼は狂人ではあるまい、と言い張るのをきくうちに、ムラムラと悪心が起りました。私はかの予言を思いだしていました。彼の希望の如くに対面を許してやるとあざむいて、真ッ暗な屋内へひきいれ、座敷牢へ押しこめて錠をおろしました。そこまでは予言の如くやりとげましたが、火を放つ勇気はなかったのです。私は混乱しつつ大殿さまのもとに走って、木々彦を座敷牢にとじこめたことを報告しました。私が言うべくして隠していた心事は大殿さまにイナズマの如くに閃いたのかも知れません。大殿さまはよろしいと申されて何のためらいもなくお立上りになると、ただちに別館へ赴かれ、アッと思うひまもなく火をかけて、お前は帰れ、何事も人に語るな、と言いすてて雨戸をとざしてしまわれたのです。それからのことは御承知の如くであります。蛇足として、すべては身に定った運命であると再び申し添えておきましょう。それが生きてきたすべてでもあり、死に行くすべてでもあります。
★
海舟は虎之介の持参した英信の遺書を一読した。読み終えて、虎之介に手紙を返した。海舟の顔には安らかな色が現れていた。
「運命というものは、在るような、また、ないような、あまり当《あて》にはならないものだ。つらつら悲劇のもとをもとむれば、チッポケなかびくさい系図にとらわれた氏族の罰さ。眼《マナコ》を天下に転じて歴史の示すきびしい実相をみる目を忘れた罰なのだな。寛永寺へたてこもった乱暴者が、逃げるに際して御苦労なことに権現様の木像を背負い十字にからげて担ぎこんだ男がいたぜ。そんなものを、どうするのだえ。フロの焚物にするがいいや、と云ってやったら、刀をぬいて斬りこみそうな剣幕で怒りやがった。律儀や忠義をやるにしても、実役にたつことをやるがいいや。こういう役にも立たぬ律儀が万事につけて無役《むえき》な悲劇を生むものだ。私もそれをやります、と虎の顔にも書いてあるぜ。血相かえてシクジリをやらかして、忠君愛国と称し、仁義孝行と号して、地獄へ落ちると書いてある。充分に慎しむ心を忘れちゃいけねえや」
虎之介は内々気をわるくしてうなだれたが、なんとなく図星のようで、イヤな気持もするのであった。
底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第五巻第九号」
1951(昭和26)年7月1日発行
初出:「小説新潮 第五巻第九号」
1951(昭和26)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:松永正敏
2006年5月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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