かかってその生母たる一女性にあつまる。わが家族制度の悲しい気風だ。彼女が自害したのはそのためだ。村人たちは彼女の自害を信じていたし、それによって彼女の罪も許され、風守がテンカンたることもそれによって人界のものではなくなり、業病即成仏、業病即神の高貴なものとなったと見ているようであった。
 土彦はなお本家の邸内から去らなかった。そしてひきつづき本家に居ついたまま、一女性と結婚した。それが光子や文彦の母の糸路であった。
 業病もちの風守は本邸でも人々から隔離され、ヨシエというウバ、政乃というおつきの女中にかしずかれ、友だちとしてボダイ寺の三男で、風守と同い年の英信という子供だけが奥へ出入を許されるだけであった。光子も出入はできないのである。こういう妙な若神様の遊び仲間に選ばれた英信は、名誉であるよりも、怖しかったに相違ない。遊び相手はヤッカイな業病人でありながら若神様とくるから、彼はその唯一の友たる風守のほかに友をもつことを許されず、また、風守について一切語ることを許されない。彼まで隔離されたようなものだ。ボダイ寺は多久家の庭に接しているから、彼は庭の木戸から邸内へ入り、奥庭づたいに奥の部屋へと消えて行く。その英信の姿に子供らしい無邪気なものは感じられず、一切の秘密が化して彼の姿をなしているような悲しい暗さが凝りついていた。
 自分で風守を後嗣に選んだ駒守の心事こそ、悲痛なものであったろう。彼は業病の故によって、決して風守を憎まなかった。それどころか、風守の悲しさを自分の悲しさとして自ら罪を分ち着ようとするに至った。そして彼は黒い布の覆面をして人に接するようになった。なぜなら、風守がやむなく人に接する時には、相手の顔が見えないように黒い覆面をかけさせなければならなかったからである。もっとも風守の覆面には目がなかった。人を見せてはならないのだから、目を隠すのが目的の覆面だ。駒守は目がなくては歩くこともできないから、同じ覆面でも、目があった。
 光子が兄を(戸籍上ではイトコだか叔父だかに当るわけだが)を見たのは、兄が十八、自分が十二の時であった。そのとき、彼女の一家は、祖父をはじめ父母兄弟に至るまで、そっくり東京の別宅へ移住したのである。それは田舎住いが子女の教育に不適当であったからだ。族長というものは、常に土地に用のあるものではない。年に何回という古来の定まった行事にちょ
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