、便所へ行って、うずくまっていたのです。飲みつけない酒をのんだからでしょう」
「なんだ、つまらない。私は、また、風守さまの御様子を見にいらしたのかと思ったわ」
「見に行く必要がありますか。コクリサマなどというものは……」
 英信の目は妙に光った。なんとなく異様であった。
「誰も死ぬ筈はありません」
 変に声がかすれたような気がした。あえぐ息がきこえるワケではなかったが、なにかハアハア息をきらしているような切実な気魄が感じられたのである。カンの鋭い二人の娘は顔を見合わせたが黙っていた。
 英信はにわかにダラシなくテーブルの上へ頬杖をついた。実に妙なダラシない様子であった。陰鬱な英信ではあるが、坊主というものは挙止に礼儀を失わぬ、身についた作法があるもので、英信がこんな様子を示すのは尋常のことではなかった。
 娘たちはいぶかしそうに彼を見つめたが、英信はその理由に気附かぬらしく、娘たちにボンヤリした視線を返して、
「酒をのんだから目がまわります」
 アア、そうか、と二人の娘はうなずいた。
「御自分のお部屋でお休みなさるといいわ。ア、そうだ。木々彦さまはどうなさッたろう」
「どこかで休んでいるでしょう。お兄さまッて、時々あんな妙な風になる人よ。変に凝り性のところがあるらしいわ」
 英信は、身動きせず、頬杖をついていた。二人の娘たちも文彦も、薄気味わるくなった。彼女らがソッと立上りかけた時であった。誰かのけたたましい叫びが起ったのである。大勢ののしり騒ぐ声に変った。それは離れていて、シカとききとれなかったが、やがて一人の声が叫びつつ近づいてきで、火事だ、火事だ、と叫んでいるのが分った。それから後は夢中であった。
 彼女らは庭へでていた。走っていた。別館の前でボンヤリしていた。別館が燃えているのだ。
 別館の中から、けたたましい叫びが起った。助けてくれ、と叫んだようだ。しかし、動物が吠えるような一声が、つづいて、きこえてきただけであった。再び呼び声は起らなかった。それが風守の最期であったのだろう。人々は徒らに走り騒ぐばかりで、火を消す手段を知らなかった。にわかに火が走って、別館の全部にまわった。一時に真昼のように明るくなり、焔にまかれた別館が全部の姿を現わした。そのとき人々は燃えつつある火焔の中に意外な人の姿を見た。
 それは、まさしく八十三歳の多久家の当主、駒守であったに相
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