、食事が終ると、にわかに苦しみはじめて、医者の手当もむなしく、急死してしまった。死に様が怪しいので検視の役人が酒や食物をしらべたが、どれと云って味の変ったものがない。しかし犬に食べさせてみると、三匹の犬が一様にヨタヨタとふらつきはじめて苦しんだあげく、まもなく死んでしまった。どの食物ということは分らなかったが、どれかに毒が仕込まれているのは確かであった。死に方が普通と変って、最後に全身がしびれるらしく、口もきけずに、鼻汁やヨダレをたらして息をひきとったのである。
 奥州ではフグを食う習慣は殆どない。しかしフグがとれないかというと大マチガイで、下関や福岡あたりの海よりも、三陸の海の方が無限にフグがとれるほどだ。もっとも外の魚が更に無限にとれるのである。要するに日本一の漁場ではある。土地の習慣でフグ料理は行われていないが、漁師にとって海に国境なく、土佐の沖も五島の沖も三陸の海つづきにすぎないのである。医者の判断よりも漁師の口から、そいつはフグの毒だろうと噂がたった。どの皿にもフグ料理はなかったが、ハキダメの中からさいたマフグが現れたので、ヌキサシならぬ証拠となった。二号は旦那殺しの罪で捕えられたのである。二号は全財産を譲られる遺言状をもらっているが、三号に子供ができると遺言状が書き改められるに相違ないから、充分の動機があるのである。知らぬ存ぜぬと言い張っても役には立たず、死刑になってしまった。死の瞬間まで泣き狂って、ムジツの罪だ、犯人はお源だ、お米だと喚きつづけたそうだ。
 町の人々にとっても二号の旦那殺しは有りうべきことであるから、彼女の処刑はとりわけ同情をかうこともなく冷淡に見送られた。この土地ではフグは食べると死ぬもの、食べない物ときめているから、網にかかったフグや漁師がイタズラ半分に持って帰ったフグは浜にすてられて顧る者がない。拾って帰るツモリなら誰でも拾って帰れるが、子供でもフグの毒は良く知っていて見向きもしないだけのことだ。
 しかし、正二郎は怖しいことを知っていた。その前夜、船頭の宮吉が大きなフグを持ってきて、彼が井戸端で手造りしたのを正二郎は知っていた。江戸育ちの正二郎はフグを知らなかったが、後日の噂をききフグを一見するに及んで疑念が黒雲の如くによみがえってきたのである。
「オレのような余計な邪魔ものもいつ殺されるか知れたものではない」
 と、彼は怖れにふるえたが、できるだけ邪魔にならないように暮す以外に分別はなさそうだった。なまじ家にブラブラしているのがいけないと思ったので、お源やお米の許可を得て一力丸の親方を訪ね、
「私もヒマな身体で毎日ブラブラしていても仕方がありませんから、漁師の手伝いでもさせていただきたいものですが」
 と頼むと、一力は一臂《いっぴ》の力をかして彼をこの地に住みつかせて以来、何かと彼に目をかけてやり、その気の毒な立場をよく了解しているから、甚だ哀れに思って、
「そうかい。お前さんがその気なら、ナニ、あんな家に小さくなっていなくッても、男一匹、立派な暮しが立つように、なんとでも力になるぜ。お前さんも天下の旗本だ。奥州くんだりへ来たからってアバズレ女に気兼ねするこたアないよ。だが、漁師なんぞがお前さんに勤まるもんじゃない。船を一艘かしてあげるから、運漕をやってごらんなさい」
 自分が世話をやいている講中にムリをきいてもらって、わずか一回のカケ金だけで正二郎に無尽をおとしてやった。その金でそッくり米を買って、これを船で東京へ運んで売った。ところがその年は全国的な大凶作で米があがっているところへ、北上平野は上々の豊作で安い米が買えた。だいたいに奥州は水害冷害が甚しいが、この北上平野だけは古来から殆ど手を施さずして水害も少く別格の穀倉地帯である。伊達政宗は早くもここに目をつけで、この地だけは臣下に与えず自分の直轄地とし、年々ミノリ豊かなこの地の米を江戸へ売って儲けていたのである。維新後のドサクサ以来、一力はここに目をつけて、自ら米の運漕をやって儲けていたが、正二郎をあわれみ、彼に儲けの確実な仕事を分け与えたのであった。
 その年は特別の年であったから、一艘の米だけで正二郎は大儲けをした。直ちにとって返して、儲けた金で第二船第三船第四船と矢つぎ早に差し向けたのがことごとく大当り。今様小型紀国屋文左衛門。その半年で立派に財を築いた。一力もわが事のように喜び、
「なア、平井さん。あんたが一人で商売をやると儲けをアバズレにまきあげられてしまう。また、この地にいるのもよろしくない。今、東京では会社というものが、はやっている。オレとお前さんと組で会社をやろうじゃないか。オレが頭取で、お前さんが副頭取。オレがここを本拠にサイハイをふって物資を東京へ送るから、お前さんが東京の支店長で売り捌く役だ。この土地にあんなアマと一しょに居ちゃア生涯ウダツがあがらないよ」
 正二郎は聟となって平井と姓が変っていた。一力の親切この上もない申出に正二郎は狂喜した。運漕をはじめて自分の財産ができて以来、寝た間も忘れることができないのは、清作の運命であった。暗い井戸端でフグを手造りしていた宮吉の姿、その毒を隠しもって二号の家へ忍びこんだに相違ない怪人物の姿、それはお米の姿でもあれば、お源の姿でもあるし、花亭の姿でもあった。その誰かが枕元に忍びよる幻想を忘れることができないのだ。塩竈の地にいては寝た間も心は休まらない。彼が商用に精がでるのも塩竈の地をはなれる喜びがとみに勇気を溢れ立たせるせいもあった。
 そこで二人は会社を起し、土地の名所松島にちなんで、松島物産会社と名づけ、正二郎は副頭取、東京支店長となった。小心で考え深い正二郎は、武士には向かなかったが、商法には才があった。豪放な一力の女房役として細心に各地の情勢、各商人の動勢、相場の動きを察し、よく手綱をしめて一力を輔佐し、商運隆々として巨万の富を築くに至ったのである。時勢のせいもあったが、彼は意外にもハイカラ好みで、一流の西洋大工に命じて東京にいくつもない純西洋館をつくって住んだ。屋根に鐘楼があったので人々はいつか時計館とよんだのである。彼は馬車で商社に通った。まさに飛ぶ鳥を落す殿様ぶりであった。

          ★

 彼はお久美を探したが、行方を知る者がいなかった。しかし二号もつくらず、女に深入りしなかったのは、女を怖れていたからである。気心の知れない女が一様に薄気味わるくて、商法に熟達し、社交になれても、女に臆する気持だけはどうにもならなかった。それが彼の商法を順調に育てたのかも知れなかった。
 女がシミジミ恋しいと思うようになったのは新築の西洋館に移りすんでからであった。衣食住がととのってみると、足りないものは女だけで、未知の世界であるだけに、尚さら怖しく、恋しくもあった。
 ある日、お客を招んだ宴席の女主人が正二郎をひそかにひきとめて、
「旦那、駒千代というは妓はお気に召しませんでしたか。この土地から出たばかりで、定まる旦那もないのですが、気立もよく、身寄もない妓で、旦那に迷惑をおかけすることもないようですが」
 と持ちかけた。人の心が顔に現れるとでもいうのか、まるで彼の心を見抜いたように時を得た至妙な話。正二郎はその宴席で始めて見る駒千代のやさしく華やかな姿に見とれて、さてさて美しい妓があるものと深く心に思いとめた直後であるから、人生は微妙なものだ。渡りに舟とよろこび、女主人に駒千代の心をたしかめてもらうと、あの物静かな旦那なら定めしやさしく親切にして下さるでしょう、異存はございませんという即答で、めでたく話がきまった。女主人が何かと加勢して、然るべき家も見つけ、以前この土地で芸者をしていたお龍という婆さんが身寄がなくて今もって待合の女中をしていたのを駒千代につけてやり、
「あなたは駒ちゃんに仕えるわけじゃアありませんよ。駒ちゃん同様あなたの御主人様は旦那ですから、よく忠義をつくして、その代り、一生旦那に面倒を見てもらいなさい」
 正二郎の面前でこうコンコンと言いふくめ、また正二郎には忠義の代りに妾宅で死水をとってあげていただきたいと頼んでやった。下働きの小女も一人つけて、ここに一軒の妾宅ができた。
 さて妾宅を構えてみると、駒子はやさしく親切で可愛らしく、正二郎にはまるで欠点というものが分らないから、去る日も来る日も夢のようにうれしいばかり。女を知らない中年の男が女に溺れるとダラシがない。酒の味も覚え、お龍をとりまきの老妓役にして差しつ差されつの食卓の賑やかさ、たのしさ。正二郎はもはや寸刻も離れているのが堪らなくなり、妾宅をひきあげさせて、その三人をそっくり時計館へ移り住ませた。
 ところが、ある晩のことである。ふと寝物語りに、
「私にはお母さんがいるんですけど……」
 と、別にさしたる理由もなく、何のハズミか口をすべらしたのは、これを運命というのであろう。正二郎のマゴコロが、駒子の心に距ての垣というものを失わせたせいかも知れない。
「身寄りがないときいていたが、お母さんが生きているのか。なぜ早く打ちあけてくれないのだね」
「だって、あんまりひどい暮しをしているものですから」
「娘を芸者にだすほどだから豊かに暮している筈はないさ。それぐらいは心得ているよ。安心して話してごらん。とッくに助けてあげたものを」
「ええ。でも今はメクラなんです。もとは旗本の娘ですけど」
「ほう。私も旗本のハシクレだが、姓はなんと仰有《おっしゃ》るのだね」
「嫁ぎ先の姓ですけど、梶原というのです」
 もしも暗闇でなければ、正二郎の見るも無慙な衝撃の色、駒子の胸に閃くものを与えた筈だが、いかんせん真の闇。ああ、なんたる運命のイタズラか。愛する駒子がわが実の子であろうとは! 駒子は無言の正二郎をいぶかしみ、
「あら。梶原という旗本、ご存じですの? ぶるぶるふるえてらッしゃるんじゃないこと?」
「ナニ、二三その姓に心当りはあるが、お前のお母さんに似た人は、さて、その心当りがあるかなア」
「でも、私は梶原という旗本の子供じゃないのよ。梶原の子供は姉さんだけ。その旗本は寛永寺の戦争で死んだそうです。私の父は望月彦太という旗本」
「望月彦太!」
「ご存じ?」
「きいたことのある名だが」
「そうですッてね。御家人仲間で鼻ツマミの悪《ワル》ですッて。私がきいているのは悪名ばかり。顔を見たこともないのです。父のおかげで、お母さんは今の不幸に落ちこんだのだそうです。泣きの涙にグチられて、子供心に辛かったわ。私が生れてまもなく父に棄てられ、苦しい暮しをしているうちに目がつぶれてしまったのです」
「どこに住んでいるのだね」
「四谷の鮫河橋という貧民窟です。今はメクラの男と夫婦になって、小さい子供がゴチャ/\五人もいるのです。アンマで暮しを立てているのです」
「お前に姉さんがいると云ったが、その人はどうしているのかね」
「駿河橋に一しょにいます。お母さんの手をひくために。そして、今のお父さんの子供と夫婦になっています。車夫ですが、酒のみで、バクチ打ちで、悪党なのね。姉さんが気の毒ですわ。私が芸者になったのも兄さんに売りとばされたんですけど、私を助けるために姉さんがはからッても下さったのです。家に居ればロクなことにはならないでしょう。いッそ芸者になる方が身のためですッてね。身売りの金を手切金に、親子の縁を切るから、母も姉もないものと思って、こんな悲しい家のことは二度と思いだしてもいけませんよッて、そう言われて出たんです」
 駒子は姉の厚意を思いだして堪らぬらしく、肩をふるわせているようであった。
 駒子の母こそはまさしくお久美であろう。その姉こそは別離の時にみごもっていたわが子であるに相違ない。なぜなら、梶原は寛永寺で死んだと云い、駒子の父はイタチ組の親分格の望月彦太というではないか。正二郎が寛永寺で死んだというのも、彦太の語ったことであろう。
 駒子がわが子でなくて幸せであった。しかし、むごたらしい運命があるものだ。ようやくお久美の居処が分ったと思えば、それは愛する女の口からだ。そして愛する女
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