明治開化 安吾捕物
その八 時計館の秘密
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)乾分《こぶん》をつれて
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ゴチャ/\
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生れつき大そう間のわるい人間というものがいるものだ。梶原正二郎という若い御家人がそれだった。そのとき彼は二十二だ。親父が死んで野辺の送りをすませたという晩に、
「今晩は。たのもう。どうれ」
両方分の挨拶にオマケをつけて大声で喚きながらドヤドヤと訪れた七八人。案内もまたず奥へあがりこんで、
「ホトケに線香あげにきたが、ホトケはどこだ、どこだ」
ホトケと隠れん坊しているよう。仏壇の前へドッカと坐りこんで、
「なるほど。この白木の位牌だな。ジジイにしてはミズミズしく化けたものだ。人間、なるべきものになって、まことに目出たいな。酒をだせ」
大変な奴ら。年のころは正二郎といくつも違わぬ若侍だが、いわゆる当時の愚連隊。その兄貴株に祭りあげられているのが望月彦太という乱暴者で、役向きでは組頭をしていた正二郎の父の配下になるのだが、組頭の威光などというものはこの男には三文の役にも立たないばかりか、うッかりするとインネンをつけられるモトになる。組頭であるために、正二郎の父はこの若者の顔を見るのが怖しくてたまらなかったというほどのシタタカ者。人の集りの多い通夜の席には現れずに、野辺の送りがすんでから乾分《こぶん》をつれてドヤドヤとやってきたのは、ホトケをカモに一夜ゆっくり飲もうというコンタン。彼らを見ると、後に残っていた少数の親戚も、逃げるように帰ってしまった。残ったのは正二郎と、その嫁のお久美だけである。
正二郎は小心の父に輪をかけた弱虫で、子供の時から同年輩のこの連中にいじめられながら、逃げ隠れするようにしてコソコソと育った男。蛇にみこまれたと同じことで、自分の分別でこの連中をどうすることもできない。云われる通りに酒をだすと、キリもなく飲み、酔いしれてバクチをはじめる。夜があけると、一ねむりして、日暮れに目をさますと、また酒を所望し、あげくにはバクチをはじめる。四日四晩それがつづいた。五日目の朝、数名の仲間があわただしく飛びこんできて、
「行方を探すのにどれぐらい苦労したか知れやしねえや。こんなところにトグロをまいてる時じゃアねえやな。そろそろ戦争がはじまるぜ。上野寛永寺へたてこもることにきまったのだ。おいらも威勢を見せてやろうじゃないか」
「それは面白いな。酒もバクチもちょうど鼻についてきたところだ。正二郎。長らく世話になったが、面白い遊びを教えてやるから、一しょにこい」
江戸城開け渡し。軽挙モウドウをいましめるフレはでているのだから、正二郎はフレに反した戦争などはしたくはないが、この連中にこう云われると、否応ない。お久美は姙娠八ヶ月。父の野辺の送りのすんだ直後に、身重の身を一人とりのこされては生き行くスベもなかろう。そこで、おそるおそる、
「家内が姙娠八ヶ月で」
と云いかけると、
「バカヤローめ。女房のお産がすむまで戦争を待ってくれてえ侍が大昔からいたと思うか。ききなれないことを云う曲者じゃないか」
と怒鳴られて、別れを告げるイトマもあらばこそ、手をとられ、腰をつかまれて、夢のように上野寛永寺へたてこもってしまった。
戦争に負けたが、正二郎も加えて十三名のこの一隊、一人も手傷を負った者がない。要領のいい奴らで、戦争を遊山《ゆさん》と心得てかりそめにも勇み立つようなところがない。しばらく旅にでるのも面白かろうと、江戸を逃げのびて、中山道から道をかえて奥州へ。戦争話の駄ボラを吹きながら、無銭飲食、無銭遊興を重ねて、二本松から、仙台、とうとう塩竈まで逃げ落ちた。道々の諸侯の動勢は予期に反して必ずしも幕府方ではない。豪傑ぶって落武者をひけらかしていると、いつ召し捕えられるか知れたものではない。江戸へ帰るわけにはいかないから、船で松前へ落ちのびることにきめた。ところが、船をだしてくれる船頭がいないのである。カカリアイになるのが怖いから、特別の船をだしたがらない。松前行きの便船がでるまで待て、というので、一行は一ヶ月ほど塩竈の遊女屋に流連《いつづけ》して便船を待った。もうヤケだった。召し捕るなり、殺すなり、勝手にしろ。刀をふりまわして死んでやるから。刀をひきよせ鯉口《こいぐち》をきッて酒を浴びつづけている。遊女屋も疫病神とあきらめはしても、彼らが浴びるほどの酒を連日はだしきれない。そこで酒の徴発に差しむけられるのが正二郎であった。彼が酒屋へ行って、おとなしく頼んでダメの時は、一同が刀をぬいてサイソクに行くから、最後にはどこでも、だした。
彼らは塩竈の鼻ツマミ者になった。イタチ組が通るというと、町中大戸をおろして一時に人通りがなくなったそうだ。イタチ組というのは彼らのことである。彼らは江戸をたつころは河童《カッパ》隊と自称していたそうだが、奥州へ来て、妙なことに気がついた。河童の神通力には北限があるのである。南へ行くほど河童の神通力は絶大で、九州の伝説では孫悟空ぐらいの威力があるが、中国、近畿、中部地方と北上するにしたがって猪八戒《ちょはっかい》以下になり、関東あたりから急速に下落して、奥州へくると、全然河童には神通力がない。奥州でカッパというと、水中のガメ虫、ゲン五郎といって水中を泳ぐ金ブンブンのような昆虫がいるが、河童というとそれぐらいの哀れな存在になってしまう。河童の神通力にも北限があると知って彼らも改めてわが身の無常を感じたが、さらに北へ北へと逃げる身には都合がわるいから、イタチ組と名を変えた。最後の屁でごまかしながら威勢よく逃げようというシャレでもあった。
酒屋へ使いに出されるたびに、正二郎が好んで行くのは「松嵐」という清酒の造り酒屋であった。なぜなら、この家だけは小心者の正二郎を憐れみ、彼を彼の一味とは別の人種として取り扱い、いたわってくれるからであった。この家の一人娘のお米《ヨネ》が別して正二郎をもてなし、両親もそれを認めている様子が、一そう彼の旅愁をなぐさめたのである。
イタチ組の悪業にたまりかねた町の人々は寄々相談のあげく、この町の船主の中で誰よりも太ッ腹な人物で通っている一力丸の主人、兵頭一力親方の犠牲に仰ぐことになった。そこで一力は一艘の持船を仕立ててイタチ組を松前へ追ッ払うことになったが、海上で面倒が起ると困るから、船頭にまかせず自ら乗船して指揮をとることとなる。出発がきまったから、正二郎は松嵐の店を訪ねて、長々お世話になりましたが、いよいよ松前へたつことになりました、と挨拶すると、お米に目顔でサイソクされて顔を見合せていた両親。やがて父の清作が態度を改めて、
「追われ追われて北の果まで逃げても、逃げきれるものではない。あの連中に別れてこの土地に住みついてはどうだね。お前さんがその気なら、娘の聟にもらってもいいが」
と云う。
そこで正二郎も考えた。今さら江戸へ戻ることもできないが、さればといってイタチ組と一しょにいる限りは、およそ性に合わない無銭遊興、押込強盗、ヤケ酒の生活から遁れることができない。末はどこかで窮死するか殺されるか、それも遠い先の運命ではなさそうだ。江戸に残してきたお久美には気の毒だが、今となっては仕方がない。お久美だって敵軍のために今頃はどうなっているか知れたものではない。ままよ。ここは思いがけない話を幸い、うまい口実をかまえてイタチ組から離れたいものだが、と考えた。
しかし臆病な男のこと、口実をかまえて言いだす気力がない。いよいよ船にのる。船がうごきだす。必死の思いはさすがのもので、
「ムムムムム……」
彼は脇腹をおさえて苦しみはじめた。こういう小心な男には神様が特別の仕掛を与えておいて下さると見えて、苦しみだすと、本当に腹が痛いような気がしてきたから妙なものだ。ただごとならぬ苦しみ様。
一力はイタチ組と肌の違う正二郎の人柄を知っている。この苦しみが狂言ではないかも知れぬが、イタチ組から離れた方がこの男の身の為だと見たから、
「放ッとくと死ぬかも知れんね。陸にちかい今のうちに船から下した方がよい。人家にちかい岸へつけて病人をたのんで行こう」
イタチ組の面々も、ここまで落ちてきた以上は、こんな小心な男は足手まといになるだけで、役に立つ見込みがない。
「ナニ、人家なんぞなくともかまわん。近い岸へつけて松の根ッこへ放りだせ」
瑞巌寺の岸へつけ、一力は松島の漁師に後事を託し、正二郎を残して去った。そこで正二郎は首尾よくイタチ組から離れることができた。さッそく塩竈へとって返して、造り酒屋の聟におさまったのである。
★
さて聟におさまってみると、考えていたのとは勝手がちがう。彼の後にイタチ組の抜き身が光っていた時とはちがって、扱いの相違が甚しい。旗本の扱いどころか、下僕の扱い。給料がないから、下僕以下。下僕に対するイタワリも遠慮もない。
だんだん様子が分ってくると、彼を聟にむかえたも道理。お米は名題《なだい》の淫奔娘で、すでに三人も父《てて》なし子を生み落して里子にだしており、この界隈からは然るべき聟をむかえることができない娘であった。
また清作が娘のお米に対する態度も冷淡である。清作はお米が自分の子ではあるまいと疑っていた。娘に似て母のお源も淫奔だった。清作と結婚まもなく、専信という美貌の僧との取沙汰があった。そして生れたのがお米であるが、醜男《ぶおとこ》の清作に似たところはなく、どことなく専信の面影を宿していた。その時以来夫婦の仲は冷えきってしまったのである。清作はお茶屋遊びをはじめたし、お源も時々人々の口の端にたつ行跡があった。そういう家庭に育ったお米が淫奔なのは自然であろう。清作が全てに堪ていたのはフシギだが、鬼のような人間が何十年も怒らずにいることがあるものである。怒るということは必ずしも鬼の行跡ではないものだ。
正二郎が聟にはいると、鬼の本性がハッキリしてきた。その時までは、そこは彼の家庭であり、お源とお米は家族であったが、正二郎が来てからは、そうではなかった。正二郎夫婦は赤の他人夫婦であって、お源はその母親にすぎないのである。そこは家庭ではなくて工場であった。正二郎一家はその職工で、彼のために金をかせぐが、その金は彼だけのもので、職工に与うべきものではなかった。彼自身の家庭は他にあって、そこには若い二号と、その腹にできたマギレもない彼の子供がいたのである。彼はその子供に死後の全ての財産を与えるという遺言状を書いて二号に与えたという取沙汰があった。
こう赤の他人扱いを受ければ、うけた一族は結束しそうなものだが、アベコベだ。その原因がみんな正二郎にあるかのように、彼はお源母子からさらに赤の他人扱い、否、下僕扱いをうけた。女房とその母はサシミだの天プラだの色々の御馳走をならべて食ってるが、亭主の膳についてるのはイワシの煮つけか干物だけ。朝は正二郎を早く起して、ああしろ、こうしろと指図をすますと、お米とお源はフトンをひッかぶっておそくまで寝ている。
そのうちに、旅絵師の松川花亭という若いニヤケた男がフラリと来て、この家に住みついてしまった。以前にもここに厄介になったことがあるらしく、お米は旅から戻った亭主をむかえるようなナレナレしさ。花亭も来た当日から亭主のように納って水イラズの食卓であるが、正二郎はその日から台所へ追ッ払われて、召使いと一しょの食事であった。お米は正二郎に花亭の紹介すらもしなかった。つまり花亭は彼女らと対等であるが、正二郎はそうでないということをハッキリ示しているのであった。お源のところへは宮吉という船頭がよく遊びにきた。清作は昼は時々見廻りに来たが、夜は二号のところへ泊りきりであった。
清作に三号ができた。そして、三号が姙娠したという噂が知れ渡った。
その日清作は二号の家でおそく目をさました。三度の食事に酒をかかしたことのない清作は、その日も二号を相手に朝酒をのんでいたが
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