がお久美の娘であろうとは! お久美はメクラとなって鮫河橋に住み、同じメクラと夫婦になって小さな子供が五人もいるとは! そしてわが子は酒のみバクチ打ちの車夫の女房たるに甘んじてもメクラの母の傍を去りがたく、母の手をひき杖の代りとなっているのだ。
 東京には多くの貧民窟があったが、特に代表的なものが三ツ。下谷万年町、芝新網、そして最も人口の多いのが四谷鮫河橋である。鮫河橋は万年町、新網のまた一段下で、家賃などはここが一番安い。三十八銭というのがあったそうだ。これを貧民窟では日割で払うのが定めだから一日に一銭三厘払うわけだが、まず大半はその一銭三厘を支払うことが出来なかったそうだ。貧乏人の子ダクサンとは、貧民窟に於てこれを如実に見ることができる。おまけにドン底暮し、貧民窟には、どこよりも寄食者、つまり居候が多いという妙な事実を御存じであろうか。嘘ではない。それが当時の貧民窟の実情であった。有縁無縁の無能力者、惰民の類がゾロゾロと金魚のウンコのようにつながってころがりこんでいるものだった。
 明治二十年ごろの平均賃金が、大工、左官、石工などで二十二、三銭(日給)、船大工、染物職などは十七銭、畳
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