しまったのである。清作はお茶屋遊びをはじめたし、お源も時々人々の口の端にたつ行跡があった。そういう家庭に育ったお米が淫奔なのは自然であろう。清作が全てに堪ていたのはフシギだが、鬼のような人間が何十年も怒らずにいることがあるものである。怒るということは必ずしも鬼の行跡ではないものだ。
正二郎が聟にはいると、鬼の本性がハッキリしてきた。その時までは、そこは彼の家庭であり、お源とお米は家族であったが、正二郎が来てからは、そうではなかった。正二郎夫婦は赤の他人夫婦であって、お源はその母親にすぎないのである。そこは家庭ではなくて工場であった。正二郎一家はその職工で、彼のために金をかせぐが、その金は彼だけのもので、職工に与うべきものではなかった。彼自身の家庭は他にあって、そこには若い二号と、その腹にできたマギレもない彼の子供がいたのである。彼はその子供に死後の全ての財産を与えるという遺言状を書いて二号に与えたという取沙汰があった。
こう赤の他人扱いを受ければ、うけた一族は結束しそうなものだが、アベコベだ。その原因がみんな正二郎にあるかのように、彼はお源母子からさらに赤の他人扱い、否、下僕扱いをうけた。女房とその母はサシミだの天プラだの色々の御馳走をならべて食ってるが、亭主の膳についてるのはイワシの煮つけか干物だけ。朝は正二郎を早く起して、ああしろ、こうしろと指図をすますと、お米とお源はフトンをひッかぶっておそくまで寝ている。
そのうちに、旅絵師の松川花亭という若いニヤケた男がフラリと来て、この家に住みついてしまった。以前にもここに厄介になったことがあるらしく、お米は旅から戻った亭主をむかえるようなナレナレしさ。花亭も来た当日から亭主のように納って水イラズの食卓であるが、正二郎はその日から台所へ追ッ払われて、召使いと一しょの食事であった。お米は正二郎に花亭の紹介すらもしなかった。つまり花亭は彼女らと対等であるが、正二郎はそうでないということをハッキリ示しているのであった。お源のところへは宮吉という船頭がよく遊びにきた。清作は昼は時々見廻りに来たが、夜は二号のところへ泊りきりであった。
清作に三号ができた。そして、三号が姙娠したという噂が知れ渡った。
その日清作は二号の家でおそく目をさました。三度の食事に酒をかかしたことのない清作は、その日も二号を相手に朝酒をのんでいたが、食事が終ると、にわかに苦しみはじめて、医者の手当もむなしく、急死してしまった。死に様が怪しいので検視の役人が酒や食物をしらべたが、どれと云って味の変ったものがない。しかし犬に食べさせてみると、三匹の犬が一様にヨタヨタとふらつきはじめて苦しんだあげく、まもなく死んでしまった。どの食物ということは分らなかったが、どれかに毒が仕込まれているのは確かであった。死に方が普通と変って、最後に全身がしびれるらしく、口もきけずに、鼻汁やヨダレをたらして息をひきとったのである。
奥州ではフグを食う習慣は殆どない。しかしフグがとれないかというと大マチガイで、下関や福岡あたりの海よりも、三陸の海の方が無限にフグがとれるほどだ。もっとも外の魚が更に無限にとれるのである。要するに日本一の漁場ではある。土地の習慣でフグ料理は行われていないが、漁師にとって海に国境なく、土佐の沖も五島の沖も三陸の海つづきにすぎないのである。医者の判断よりも漁師の口から、そいつはフグの毒だろうと噂がたった。どの皿にもフグ料理はなかったが、ハキダメの中からさいたマフグが現れたので、ヌキサシならぬ証拠となった。二号は旦那殺しの罪で捕えられたのである。二号は全財産を譲られる遺言状をもらっているが、三号に子供ができると遺言状が書き改められるに相違ないから、充分の動機があるのである。知らぬ存ぜぬと言い張っても役には立たず、死刑になってしまった。死の瞬間まで泣き狂って、ムジツの罪だ、犯人はお源だ、お米だと喚きつづけたそうだ。
町の人々にとっても二号の旦那殺しは有りうべきことであるから、彼女の処刑はとりわけ同情をかうこともなく冷淡に見送られた。この土地ではフグは食べると死ぬもの、食べない物ときめているから、網にかかったフグや漁師がイタズラ半分に持って帰ったフグは浜にすてられて顧る者がない。拾って帰るツモリなら誰でも拾って帰れるが、子供でもフグの毒は良く知っていて見向きもしないだけのことだ。
しかし、正二郎は怖しいことを知っていた。その前夜、船頭の宮吉が大きなフグを持ってきて、彼が井戸端で手造りしたのを正二郎は知っていた。江戸育ちの正二郎はフグを知らなかったが、後日の噂をききフグを一見するに及んで疑念が黒雲の如くによみがえってきたのである。
「オレのような余計な邪魔ものもいつ殺されるか知れたものではない」
と、彼は怖れに
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