をおろして一時に人通りがなくなったそうだ。イタチ組というのは彼らのことである。彼らは江戸をたつころは河童《カッパ》隊と自称していたそうだが、奥州へ来て、妙なことに気がついた。河童の神通力には北限があるのである。南へ行くほど河童の神通力は絶大で、九州の伝説では孫悟空ぐらいの威力があるが、中国、近畿、中部地方と北上するにしたがって猪八戒《ちょはっかい》以下になり、関東あたりから急速に下落して、奥州へくると、全然河童には神通力がない。奥州でカッパというと、水中のガメ虫、ゲン五郎といって水中を泳ぐ金ブンブンのような昆虫がいるが、河童というとそれぐらいの哀れな存在になってしまう。河童の神通力にも北限があると知って彼らも改めてわが身の無常を感じたが、さらに北へ北へと逃げる身には都合がわるいから、イタチ組と名を変えた。最後の屁でごまかしながら威勢よく逃げようというシャレでもあった。
酒屋へ使いに出されるたびに、正二郎が好んで行くのは「松嵐」という清酒の造り酒屋であった。なぜなら、この家だけは小心者の正二郎を憐れみ、彼を彼の一味とは別の人種として取り扱い、いたわってくれるからであった。この家の一人娘のお米《ヨネ》が別して正二郎をもてなし、両親もそれを認めている様子が、一そう彼の旅愁をなぐさめたのである。
イタチ組の悪業にたまりかねた町の人々は寄々相談のあげく、この町の船主の中で誰よりも太ッ腹な人物で通っている一力丸の主人、兵頭一力親方の犠牲に仰ぐことになった。そこで一力は一艘の持船を仕立ててイタチ組を松前へ追ッ払うことになったが、海上で面倒が起ると困るから、船頭にまかせず自ら乗船して指揮をとることとなる。出発がきまったから、正二郎は松嵐の店を訪ねて、長々お世話になりましたが、いよいよ松前へたつことになりました、と挨拶すると、お米に目顔でサイソクされて顔を見合せていた両親。やがて父の清作が態度を改めて、
「追われ追われて北の果まで逃げても、逃げきれるものではない。あの連中に別れてこの土地に住みついてはどうだね。お前さんがその気なら、娘の聟にもらってもいいが」
と云う。
そこで正二郎も考えた。今さら江戸へ戻ることもできないが、さればといってイタチ組と一しょにいる限りは、およそ性に合わない無銭遊興、押込強盗、ヤケ酒の生活から遁れることができない。末はどこかで窮死するか殺されるか、それも遠い先の運命ではなさそうだ。江戸に残してきたお久美には気の毒だが、今となっては仕方がない。お久美だって敵軍のために今頃はどうなっているか知れたものではない。ままよ。ここは思いがけない話を幸い、うまい口実をかまえてイタチ組から離れたいものだが、と考えた。
しかし臆病な男のこと、口実をかまえて言いだす気力がない。いよいよ船にのる。船がうごきだす。必死の思いはさすがのもので、
「ムムムムム……」
彼は脇腹をおさえて苦しみはじめた。こういう小心な男には神様が特別の仕掛を与えておいて下さると見えて、苦しみだすと、本当に腹が痛いような気がしてきたから妙なものだ。ただごとならぬ苦しみ様。
一力はイタチ組と肌の違う正二郎の人柄を知っている。この苦しみが狂言ではないかも知れぬが、イタチ組から離れた方がこの男の身の為だと見たから、
「放ッとくと死ぬかも知れんね。陸にちかい今のうちに船から下した方がよい。人家にちかい岸へつけて病人をたのんで行こう」
イタチ組の面々も、ここまで落ちてきた以上は、こんな小心な男は足手まといになるだけで、役に立つ見込みがない。
「ナニ、人家なんぞなくともかまわん。近い岸へつけて松の根ッこへ放りだせ」
瑞巌寺の岸へつけ、一力は松島の漁師に後事を託し、正二郎を残して去った。そこで正二郎は首尾よくイタチ組から離れることができた。さッそく塩竈へとって返して、造り酒屋の聟におさまったのである。
★
さて聟におさまってみると、考えていたのとは勝手がちがう。彼の後にイタチ組の抜き身が光っていた時とはちがって、扱いの相違が甚しい。旗本の扱いどころか、下僕の扱い。給料がないから、下僕以下。下僕に対するイタワリも遠慮もない。
だんだん様子が分ってくると、彼を聟にむかえたも道理。お米は名題《なだい》の淫奔娘で、すでに三人も父《てて》なし子を生み落して里子にだしており、この界隈からは然るべき聟をむかえることができない娘であった。
また清作が娘のお米に対する態度も冷淡である。清作はお米が自分の子ではあるまいと疑っていた。娘に似て母のお源も淫奔だった。清作と結婚まもなく、専信という美貌の僧との取沙汰があった。そして生れたのがお米であるが、醜男《ぶおとこ》の清作に似たところはなく、どことなく専信の面影を宿していた。その時以来夫婦の仲は冷えきって
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