お久美は返事をしなかった。さすがにお園はまだ若いし、母がイコジになるだけ、彼女は冷静に考えた。別に父はなつかしくなかった。自分でもフシギなぐらい父がなんでもなく見えるのである。しかし、血をわけた駒子、まだ別れて生々しい彼女と父と名のる男との意外な関係が妖しい血を顔にベットリ塗られたように薄気味わるく気にかかった。
「とにかく、駒ちゃんに会ってみましょうよ。ねえ、お母さん」
 無感動のお久美には否も応もなかった。そこで人力車をたのんでもらって正二郎の屋敷へついたが、誰知るまいと思いのほか、この車夫の一人はお園の亭主の八十吉とは車夫仲間、バクチ仲間。お園とは顔見知りの仲ではなかったが、お園とその母のメクラ按摩と杖代りの娘については街で見かけて見覚えている男であった。
 待っていた駒子は、母と姉を迎えて大よろこび。自分の部屋へ二人をともなって、くさぐさの話を物語る。駒子に一応まかせるのが何よりであるから、正二郎はわざとそれを見送って、自分は上京中の一力と、まずまず第一段は成功。お龍もよんで労をねぎらい、お龍のお酌で乾杯する。一力も話をきいて感無量。
「そういうものかねえ。しかし、昔のことは忘れた。あんたは誰だ、というお久美さんの心もしみじみ分る気がするなア。貧乏人は金持になりたがったり、あこがれているかも知れんが、自分がドン底へ落ちているのに、二十年前に生き別れて死んだと思った亭主が金持になって現れては、今の自分の境遇以外は忘れたかろう。金持の幽霊よりも、今の自分がなつかしかろうよ。本当に昔が忘れたいに相違ないなア」
「そうですかねえ。貧乏人のヒガミですよ」
「イヤ、イヤ。お龍さん。あこがれたものが呆気なく目の前に出てきてみると、人間は今の自分が大事なことが分るものだよ」
 一力の言葉に力なくうなだれて声もないのは正二郎であった。
 駒子の口から改めて正二郎と同じことをきかされると、お園にはそれが別の、なにか浄ルリをきくような切ない宿命を感じさせられたのであった。駒子は母と姉が殆ど気乗り薄にこの邸へ同行してきたことを知らなかった。彼女には、母と姉の言葉をききだそうとする余裕などはなかったのである。悲しく張りわたって、自然に曲をかなでる琴かのように、とめどなく、語らずにいられない駒子であった。
「姉さん。私はどうなるのでしょうね」
 駒子の口から思わずその言葉がもれた。妖
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