始めて見る駒千代のやさしく華やかな姿に見とれて、さてさて美しい妓があるものと深く心に思いとめた直後であるから、人生は微妙なものだ。渡りに舟とよろこび、女主人に駒千代の心をたしかめてもらうと、あの物静かな旦那なら定めしやさしく親切にして下さるでしょう、異存はございませんという即答で、めでたく話がきまった。女主人が何かと加勢して、然るべき家も見つけ、以前この土地で芸者をしていたお龍という婆さんが身寄がなくて今もって待合の女中をしていたのを駒千代につけてやり、
「あなたは駒ちゃんに仕えるわけじゃアありませんよ。駒ちゃん同様あなたの御主人様は旦那ですから、よく忠義をつくして、その代り、一生旦那に面倒を見てもらいなさい」
 正二郎の面前でこうコンコンと言いふくめ、また正二郎には忠義の代りに妾宅で死水をとってあげていただきたいと頼んでやった。下働きの小女も一人つけて、ここに一軒の妾宅ができた。
 さて妾宅を構えてみると、駒子はやさしく親切で可愛らしく、正二郎にはまるで欠点というものが分らないから、去る日も来る日も夢のようにうれしいばかり。女を知らない中年の男が女に溺れるとダラシがない。酒の味も覚え、お龍をとりまきの老妓役にして差しつ差されつの食卓の賑やかさ、たのしさ。正二郎はもはや寸刻も離れているのが堪らなくなり、妾宅をひきあげさせて、その三人をそっくり時計館へ移り住ませた。
 ところが、ある晩のことである。ふと寝物語りに、
「私にはお母さんがいるんですけど……」
 と、別にさしたる理由もなく、何のハズミか口をすべらしたのは、これを運命というのであろう。正二郎のマゴコロが、駒子の心に距ての垣というものを失わせたせいかも知れない。
「身寄りがないときいていたが、お母さんが生きているのか。なぜ早く打ちあけてくれないのだね」
「だって、あんまりひどい暮しをしているものですから」
「娘を芸者にだすほどだから豊かに暮している筈はないさ。それぐらいは心得ているよ。安心して話してごらん。とッくに助けてあげたものを」
「ええ。でも今はメクラなんです。もとは旗本の娘ですけど」
「ほう。私も旗本のハシクレだが、姓はなんと仰有《おっしゃ》るのだね」
「嫁ぎ先の姓ですけど、梶原というのです」
 もしも暗闇でなければ、正二郎の見るも無慙な衝撃の色、駒子の胸に閃くものを与えた筈だが、いかんせん真の闇。ああ
前へ 次へ
全22ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング