黒石は死んでいるのだ。
津右衛門は甚八が顔色を変えて坐り直したのを見て、ほほえみ、
「夜もだいぶ更けたようだから、このへんで寝ようではないか。お前さんも目が血走って兎の目のようだよ。身体に毒だな」
「目の赤いのは生れつきだ。江戸ッ子は徹夜でなくちゃア碁は打てねえ」
「そうかい。それじゃア、夜食でもこしらえてもらいましょう」
どこの碁打の家庭でも夜更けの夜食には馴れている。かねて用意の手打ウドンがポッポッと湯気をたてて運ばれる。
「甚八さん。おあがり」
「どうぞ、あついうちに召上れ」
と千代にも言われても、それらの声が耳につかないらしい。甚八は尚執念さりがたく、殺気走った目をこらして盤上を睨みつづけている。その隅が死んでは、とうてい足らないようだ。しかし、ほかに勝筋はないのか。津右衛門はすでに黒の勝筋なしと見極めているらしいが、それが口惜しくて投げられない。
津右衛門はドンブリをとりあげたが、そのドンブリを膝の上へ下し、一箸もつけずにだんだんうなだれた。次第に顔色が蒼ざめてきた。ジッとすくむように見えたが、ポロリとドンブリを落した。
「ウッ!」にわかに胸をかきむしり、前へつんのめ
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