たところでは白によい碁ではございませぬ。黒は置き石を生かして白を圧迫し、黒に充分の碁ですが、隅の黒石に平凡な死に筋があるのを見落して、せっかくの好局を負けにしたのでした」
千代はこう答えて、目にアリアリと黒の見落した筋を思い浮べた。その時、千代の頭にひらめいたのは、その手筋であった。彼女は顔色の変るほど驚いた。彼女は腹に力を入れて、ウンとこらえた。しばしして、人に顔色をさとられぬうちと座を立って、わが部屋へ逃げこんだが、その踏む足もウワの空、宙を踏む夢心地である。
「アア!」
彼女はフスマをしめて部屋にはいり、崩れるように坐りこんだ。断末魔の津右衛門が指さしていたのは、一つの方角ではなかったのだ。すぐその指の先にあるもの、碁盤なのだ。のたうちまわって前へ前へすすみつつも、指さしていたのは、たしかに碁盤であった筈。然り。たしか碁盤そのものであったのだ。
甚八が見落していた手筋というのは、敵の石をとって二眼できたとき、とった石を又とり返される筋があるのを見落していたのである。甚八ほどの打ち手が見落すのはフシギであるが彼は血迷っていたのであろう。この手筋を碁の術語で「石の下」と云うので
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