せとなり動かなくなるかと思うと、再び畳をむしりつつウドンまみれに這いずりまわってもがく。
 人々が為す術を忘れて茫然それを見ていたのは、それが津右衛門の幽霊の再現だと思ったせいだ。しかし、天鬼は、ふと気がついた。あまりにも真に迫っている。甚八のような威勢のよい職人に志呂足のヘナヘナの術がかかるものではなかろう。
「ハテナ」
 天鬼はいぶかしんで、そッと横へまわり、ウドンの汁が手につかないように注意して、甚八の襟をつかんで、顔をのぞきこんだ。
「オッ! これは幽的や病気でもないかも知れんぞ。口から血を吐いているぞ。ひょッとすると、毒をのんだのかも知れねえ。入間玄斎先生をよんでこい!」
 報せによって離れから駈けつけた玄斎は甚八の顔をジッと見て、マブタの裏をかえしてみたが、
「どうやら毒らしいね。まず、吐かせなくちゃいけないが、梅酸《うめず》をドンブリかドビンに一パイぐらい持ってきてもらいたいね」
 しかし、手おくれであった。梅酸をのんで吐く力もなく、甚八は死んでしまったのである。
 東京から出張してきた医師によって、甚八の毒殺は確定した。甚八が毒をもられたとすれば千代が持参したお茶のほかにはないようだ。そのお茶をいれたのも千代である。大きなトビンに番茶をいれ、熱湯をさして、さらに火にかけ、うんと渋茶に煮たてた上に、それがこの家のいれ方であるが、若干の塩を入れてだすのである。
 千代は一応容疑者として地方の警察へひかれたが、この警察には他に複雑な事情があるものと見て、結城新十郎に応援をもとめた。
 そこで新十郎は田舎通人と虎之介にとりまかれつつ、川越へ到着したのである。

          ★

 新十郎はまる五日間、留置の千代を取調べずに、傍証をかためているようだった。彼は全てを調べあげたが、特に甚八の行動には興味をひかれたらしく、彼が諸方を歩いたと同じように諸方を歩いて、彼が何を質問し、何を突きとめ、何をきいて満足したかを調査して倦むことを知らないようであった。
 夜は夜で歩きまわり、また読書にふけっていたが、花廼屋《はなのや》と虎之介に系図を示して、
「この系図の書きこみは面白いものですね。これによると、村人の言い伝えには意外の真実がこもっているのが分りますよ。初代津右衛門長女さだは明らかに大久保長安の妾の一人ですが、長安は、莫大な財産をイントクしていたと同時に
前へ 次へ
全34ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング