棒どもに住み荒され跡形もなくこわされてしまうだろうが、ただ捨てるのが心残りならば、秩父の私の別邸とこの屋敷を取換えてやろうと思うが」
 言葉巧みにこうすすめる。千代とても戦禍の不安がないではない。津右衛門なきあと、使用人を別にして、この家族には全く男手がなかった。彼の先妻には二子があったが、いずれも女で、先妻がそうであったように二人の娘も肺病であった。姉の生乃《いくの》は病気を承知でムリに嫁してすぐ死んだ。妹の玉乃は今年十九。寝たきりではないが、寝つくことが多く、痩せ細り、蒼ざめもつつブラブラしている。
 千代には東太という一男が生れ、津右衛門の喜びは殊のほかであったが、東太はまだ三ツ、手足まといにはなっても、男手の中に数えることはできやしない。
 こういう頼りない家族であるから、千代とても避けうるならば難を避けたいのは山々であるが、今や、こうして父の説得をきくうちに、ふと思いついたことがあった。ハハア、さては、と気がついた。
 千頭家には妙な家憲があるのだ。この家憲は世間の人々にも知られているが、世間の噂は元々|当《あて》にならないものだ。けれども、千代は千頭家に嫁して、津右衛門から、世間の噂が正しいことをたしかめていた。
 千頭家では息子の成人に当って、先祖伝来門外不出の言い伝えを語りつぐことになっている。その語り伝えられるものが何事であるかは、父と息子以外の誰にも分らない。息子の母も弟も知ることができないのである。そしてその語り伝えられるものは決して文字に記してはいけないとされていた。
 千頭家は元々この土地の人ではなかった。徳川初期のころ、三代家光の頃と云われるが、いずこよりかこの地へ移住し、莫大な山林原野を買い、人足をあつめて開墾し、今日の元をひらいたのである。莫大な土地を買ったほどであるから、元々お金持であったには相違ない。平家の落武者の子孫だの、豊臣家の血縁の者ではないかというような田舎らしい風聞があったのである。
 今でも土地の人々が信じていることは、千頭家の祖先が何者かは知れないが、高貴の出で、祖先伝来の山の如き金箱をつんでこの地へ移ってきたが、移り住むと、盗難を怖れて、車に何台という金箱をいずこへか埋め隠したのである。父が息子に語りつぐのはその金箱の隠し場所だ。その証拠には、ほかのことなら、文字に書き残して悪かろう筈がない。あやまって人目にふれる
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