も知れねえや」

          ★

 昇龍丸の冒険談から殺人事件に至るまで首尾一貫して語るのにヒマがかかって、虎之介が海舟邸を辞去する時はすでに午になろうとしている。幸いそこから新橋は程近いから、人力車を追いこし追いこし駈けつける。すでに一同集って、まさにプレーボール開始寸前。虎之介は海舟から借用した名句も心眼も用いるヒマなく、先ず息を静め汗をおさめるのに大童《おおわらわ》である。新十郎はポケットから一枚の紙片をとりだして、
「さて、今村さんだけが、本日欠席されましたが、欠席の理由は後刻申し上げますが、ここに質問にお答をいただいた紙片がありますから全員参集と認めて犯人探しにうつります」
 新十郎は改めて紙片に見入った後、顔を上げてキンに話しかけた。
「昨日の話では事件の夜あなたの部屋を訪れた男がなかったとのお言葉ですが、今村さんの御返事では、そうでないことになっております。夜十時ごろ、今村さんはあなたの部屋へ忍んで参られたそうです。それに相違ございませんか」
 キンは気魄するどく否定の身構えを見せたが、余裕綽々として尚すべてを知りつくしでいるらしい新十郎の落着きをみると、赧《あか》らんでうなだれた。やがて顔をあげて、
「たしかに、そういうことがありましたが、私は前後不覚に熟睡して、はじめは全く気附かなかったのです。同衾している人が良人でないと分ったのは、手の施し様のない状態になった後でした。又、その人が今村さんだということは、今まで知らなかったのです。良人ではない赤の他人の誰かだということだけしか知りませんでした」
 尚何か附けたして言おうとするのを、新十郎はおさえて、
「それだけおききすればよろしいのです。清松君がきいた音はソラ耳ではありません。しかし、その人は八十吉君ではなくて今村さんだったのです。ところで、今村さんが質問に答えた言葉に、こういう重大な一句がありますよ。今村さんが八十吉君をデッキから突き落して自室の方へ戻ったとき彼が発見したのは、すでに殺されていた船長でした。又、すでに開かれていた金庫でした。清松君が隣室に殺人や物音をきかなかったのは無理がありません。今村君が降りてきた時、すでに船長は殺されていたのですから。今村さんは清松君の証言通り三十分程船長室に居りました。なぜなら、彼も亦真珠を探したからです。しかし、それが已に盗まれていることを知ると、次には、それを盗んだ者が何人であるかを突き止めることに努力しました。要するに殺した人が盗んだと思ったのですが、それは当然の着想だったと申せましょう。そこで殺人の現場をつぶさに調べたあげく、犯人を知る代りに、アベコベの物を発見しました。つまり、失われたと諦めた宝石を発見したのです。宝石は屍者のはいた靴のカカトにはめこまれていたのです。屍者は死の瞬間に足を蹴ったので靴のカカトが外れかけていたのです。それに注意した今村氏は、それが専門の靴屋によって精密に造られた二重底の宝石入れで、船長が今日あるを察して出発前に用意した密輸用の容器であるのを知り得たのです。二ツの宝石はその中にありましたが、今村氏はそれをポケットへ納めずに、再び屍者の靴のカカトの中に戻して、誰にも分らぬように蓋をしてしまったのです。なぜならもしも宝石を所持しているのを発見されると、船長殺しの汚名まで蒙らなければならないからです。後刻、人々の油断を見すまして宝石をとりだす時間はあるものと思ったのでしょう。そこでロウソクをふき消し、扉をしめて廊下へでましたが、ええ、ままよと思い、すでに船長が死んでしまえば怖い者はありませんし、それが八十吉君を殺した動機でもありますから、にわかに堪らない気持になっておキン夫人の寝室へ忍びこんだのです。然し、目的を果し、酔いがさめると、にわかに怖しくなり、自分の部屋には寝《やす》まずに、既に人々の寝静まった宴会部屋へ戻って素知らぬフリで眠ってしまったのです。その結果として、大和君の傍若無人な船長代理ぶりに妨げられて靴のカカトの中の宝石は、遂に再び手中に収める機会を失したのです。従って世界に類なき宝石は、船長の屍体もろとも再び海底へ戻ったのです」
 新十郎はニコニコして一同を見廻した。
「さて、みなさん。以上によって分りました如く、船長殺しの犯人は、それが目的であったにも拘らず、二ツの宝石を奪うことができなかったのです。彼が開いた金庫の中には無かったのですから仕方がありません。そこで彼はどう考えたでありましょうか。すでに誰か先に盗んだ者があると思ったでしょうか。否々。船長は概ね自室を離れませんから、その時までに盗む機会はなく、又、盗まれて気附かぬ筈はありません。したがって、金庫の中になかったとすれば、盗まれた為ではなくて、始めからそこに無かった為であると思ったのです。彼はこう結論
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