こには何か曰くがあるらしいな」
 悪党の勘である。五十嵐はしばし考えていたらしいが、
「ザックバランにきくが、この中で誰か犯人に心当りのある者がいるかい」
 誰も答えない。
「そうだろう。オレにもてんで心当りがねえや。そこで、もう一つ訊くが、大和の奴が犯人を知ってると思う心当りの人はいるかね」
 それに答えたのは金太であった。
「これをここで言うのは辛いが、大和がしつこく訊くもので、教えてやったことがある。しかし、これはオレにも確かに犯人だと心当りがあることじゃアないのでな。知っての通り、オレは酒には弱い男だ。あの晩はいくらも飲まぬうちに苦しくなって、真ッ暗な甲板へあがって、ウトウトねこんでしまった。人の気配にふと目がさめると、二人の男が大部屋の方から出てきたと思うと、アッという小さな叫びを残して誰かが海へ落ちた様子。そこに誰かが一人残って立っているが、突き落したのか、自然に落ちたのか分らないし、真ッ暗闇で、誰とも分らない。あの晩は曇天のところへ月の出のおそい晩のことだからな。ただオレが知っているのは、二人は皆の騒いでいる大部屋の方からデッキを歩いてきたことと、残った一人は船長室の方へ降りて行ったということだ。ほかに行方不明は居ないから、海へ落ちたのは八十吉だ。だが、もう一人は分らない」
「たいそうなことを知ってるじゃないか。それでハッキリしているな。その男は今村だ」
 と五十嵐。
「ところが、そうはいかねえワケがある。翌朝オレが目をさましたとき、みんなまだ寝てやがるから奴らの顔を見てやったが、今村はオレたちの部屋にねていたぜ。それから竹造も寝ていたな」
 間をおいて、声を怒らして喚いたのは清松であろう。
「フン。それじゃア部屋にねていたのはオレだけじゃないか。オレが犯人というワケか。バカにするな。オレは第一、あの晩は酒も飲まずに寝ていたのだ。大部屋へなんぞ行きやしねえ。部屋の外でオレを見かけた奴が一人でもいるか、探してこい」
「誰もお前が犯人だと言ってやしねえ」
 と慰めたのは五十嵐。
「これで読めた。大和は利巧な奴だぜ。奴は今村をゆすっているのだ。奴は尾羽うちからしていやがるし、昇龍丸の乗員で出世したのは今村だけだ。奴めは芝で一寸した貿易会社の社長だアな。だが大和の奴がこんな芝居を打つようじゃ、今村に泥を吐かせる確証がねえような気もするなア」
「どうも変だな。オレはたしかに八十吉がデッキから戻ってきたのを聞いた筈だが」
 と訝かったのは清松である。
「あれはまだ宵のうちだ。九時半か十時ぐらいに相違ないが、金太が八十吉の落ちた声を聞いたてえのは朝方じゃアないか」
「とんでもない。オレがそれと入れ違いに大部屋へ戻った時は、だらしなくノビた奴も半分いたが、半分はまだバカ騒ぎの最中よ。九時半か、十時ごろだ」
「そのとき今村は大部屋にいたか」
「そこまでは気がつかねえや。なんしろバカ騒ぎの最中だし、半分は酔い倒れていやがるし、ロウソクは薄暗えや。オレは隅ですぐ寝ちまったからな」
「人が海に落ちたのを見ていながら。だから、お前はウスノロてんだ」
 と五十嵐。
「だからよ。オレにしてみりゃア、船長室へ降りた奴が教えに行ったと思ってらアな。ふんづかまって働かされちゃアつまらないから、早く寝たんだ」
 その時、思いつめて問いただしたのは清松の声であった。
「おキンさんにきくが、八十吉は十時ごろ一度戻ってきやしないか。イヤ。たしかに戻ったに相違ない」
「いいえ。戻って来ませんよ。戻って来たとすれば、私は寝ていて知らなかったが、翌る朝の様子では夜中に戻った様子はありません」
「イイヤ。お前の部屋へはいった者がたしかにいた。オレはこの耳できいていたのだ」
「部屋の間違いじゃないの?」
「そんなことはねえや。オレの部屋の隣は船長室だ。オレの真向いがお前の部屋だ。今村の部屋はお前の隣り、船長室の真向いだが、二ツの扉はちょッと離れているぜ」
「なんだか気味が悪いわね。いったい誰が私の部屋へはいってきたの。私は寝ていて知りやしないよ」
「不思議だなア。あれが今村だとしてみると、どうもオレには分らねえや」
「いったい、私の部屋へはいった人が何をしたの?」
「それがハッキリ分らねえや。その男がお前の部屋へはいると間もなくオレは眠ってしまったんだ。ただ、オレが知っているのは、その男はデッキから降りてくると船長室へはいったのだ。三十分ぐらい船長室にいて、それからお前の部屋へ行ったのだぜ」
「船長室で何をしたの?」
「それがオレには分らない。別に話声もきこえないし、シカとききとれた音もねえや。どうもな。まさか、人を殺しているとは知らねえや」
 清松は何となく言葉を濁した様子であったが、キンの反問が今度は鋭かった。
「人を殺した音がきこえなかったというの? 板一枚で
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