通じ易いものではあるが、彼はこのように魅力の深い女の姿を日本に於て見ることは有りうべからざる夢のような気がしたのだ。夢想に縁遠い彼であったが、これが竜宮であろうか、あれは妖精であろうかとふと考えて見た。しかしそれは自分の心を偽るための見せかけだった。彼は余りにも強烈な慾情を自覚したくなかったのだ。彼は五十嵐や大和にも増して、色情に飢えた狼であった。
 潜水夫たちは上ってきた。二人の女が船へ上ると、男たちはそれをとりまいて、まるでふるえているように見えた。するとフラフラととびだしてきた一人の男が、まるで酔ッ払いがモミ手でもするかのように身をかがめたと思うと、キンの尻を拝むように押えていた。しかし彼はその手に力をこめることができなかったばかりでなく、押えたハズミに全身の力がぬけたのか、ガックリ膝まずいて、うなだれてしまった。しかし、うなだれる一瞬早く、彼の目は赤い炎をふきあげてキンの尻に食い入るばかり見つめた凄さまじさを人々は見逃さなかった。
 人々は魂をぬかれたバカのように、それを黙って見つめた。キンが身をひいて走り去ると、人々ははじめて息をついたが、誰も言葉を発する者がいなかった。キンに抱きついた男は、実直のウスノロで通っている金太という三十三のこの船中では年配の水夫であった。誰も彼がこんなことをしようなどとは考えられないことだったのだ。
 今村はそれを見終って戦慄した。それは金太の仕業に対しての戦慄ではなくて、金太が手に抑えたものの至上な魅力に対する戦慄であった。彼の目に、彼の心に、全身に蛇が宿ったのだ。
 翌日から正式の作業がはじまった。八十吉と清松は交代で潜るのである。畑中も潜水船に乗りこみ、十五名のポンプ押しが交替でポンプを押すのを指揮するのだ。万一のことがあっては困るから、大和や五十嵐や金太はポンプ押しから除外されたが、五十嵐は執拗にポンプ押しを志願した。それはポンプ押しの小船の上に二人の女が居るためであった。
 彼らが予期した通り、この海底は巨大な白蝶貝の無限の棲息地帯であった。黒蝶貝も多かった。八十吉と清松は、木曜島の潜水夫等が一日に三ツしか見つけることができないような老貝を、それ以上の物を含めて、潜水中のあらゆる時間、殆ど探す手間もなく採ることができるのである。夕方までに採った貝は数を算えて一夜をすごし、翌日の夜明けを待って、各人の見ている前で、畑中自ら貝をさいて、真珠を探すのである。
 真珠はその形成される場所によって品位の差がある。大別して袋真珠と筋肉真珠にわけ、前者の方が優良品である。袋真珠の中でも外套膜の周辺組織内にできる物が形も色も光沢もよく、比較的珠も大きい。介殻の蝶番部に相当する外套膜にできるものは不正形であるが、非常に光沢のよい長円形の物が生ずることがある。外套膜の中央部、内臓を覆う組織の中に生じるものは一般は小形である。以上の袋真珠に比して筋肉真珠は形も光沢も悪く、殆ど宝石の価値を持たないものだ。
 しかし、いかな白蝶貝の老貝とはいえ、どの貝からも真珠がとれるというようなザラに在るものではないのである。しかし白蝶貝は、真珠がなくとも貝殻自体が装飾品として相当の値(今の値で千五百円、二千円ぐらいか)で売れるのである。
 昇龍丸が発見した海底の真珠貝は、貝殻も巨大であるが、真珠の含有率も甚だ良好であったのみならず、良質の真珠が多く、畑中の指が銀白色の真珠をつまみだすたびに、期せずして一同の口から歓声があがった。
 採った真珠は数的には公平に分配することになっていた。ただ各自が真珠を選びとる順序があった。第一は畑中、次は八十吉、清松、竹造の順で、それ以後は船員の階級順であったが、今村は臨時の乗員であるために下級水夫の上位、ほぼ全員の中間ぐらいに位していた。ドン尻がキンとトクの女子であった。真珠の数の有る限り、何回でもこの順序で自分の物を選び取ることを繰返すのである。これは畑中の発案で、彼としてはこれで公平と思っていたし、事実労資の分配率ははるかに差の甚しいものであったから、予測せざる現実が起きるまでは、誰一人異見を立てなかったのである。
 日を重ねるに従って、上質で大粒の真珠がその数を増していた。こんな光沢の良い大粒のものが一ツでも自分に廻ればと思うような物が、忽ち全員に二ツも三ツも廻るような目ざましい収穫であるから、船員たちの潜水夫に対する態度にも多少改まったものが感じられるように思われた。
 四十五日目のことであった。その化け物の如くに巨大な黒蝶貝を採ってきたのは清松であった。翌早朝、先ず畑中はその貝をとりあげて一同に示した。
「黒蝶貝の主だぜ。得てして、こういう怪物は神様の御神体と同じように、カラでなければ、とんだ下手物《げてもの》しか出ないものだて」
 今迄の例がそうだった。しかし畑中は殻を
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