で坐礁して白蝶貝の採取を見学しての帰路に又坐礁して白蝶貝黒蝶貝の無数にしきつらねた海底を発見するとは、海神の導きと云うよりほかにないようなものではないか。オレは幸い房州小湊の産で、そこの海には八十吉に清松という二人の潜水の名人が居て、その技術は木曜島で見た潜水夫の誰よりも秀でているのをこの目で見て知っている。木曜島では二十|尋《ひろ》から三十尋の海底だったが、あそこの海では十尋から十五尋の浅海に差しわたし一尺の余もあろうという老貝がギッシリしきつらねてあるのだ。その上、附近の陸地は全くの無人の地、通る船舶も殆どなく、密漁を見破られるという心配は百に一ツもないようだ。一つ八十吉と清松を仲間にひきいれて、真珠採りとシャレてみようではないか。呉れ呉れも、秘密、々々」
 と、畑中は無類に豪気の海の強者《つわもの》、実際は慾心よりも冒険心にうずかれたのだ。正直のところが、真珠採りとシャレてみようじゃないかという豪快な遊び魂が頭をもたげての話であった。
 木曜島で盛大な真珠景気を一見して大いに煽られてきた一同に異存のあろう筈はない。船長畑中の気風に心服している一同でもあるから、たちまち雄心ボツボツ、はやる胸をジッと抑えて、何食わぬ顔で祖国へ上陸したが、手筈は充分に打ち合せてあるから、船を修理に入れると、それぞれ受け持ちの任務を果して、畑中からの報知を待っていた。
 畑中は印度洋からセイロン、ボンベイへの航路調査を願いでて、再度の就航の許可を得た。さっそく密々に小湊へ走って、八十吉、清松両名に相談を持ちかけた。
 八十吉は二十八、清松は二十六。先祖代々海で育ち、海で働く男の中でも特にアワビ採りの名人だ。三十|米《メートル》ぐらいの海底なら裸潜水で楽にやる。潜水服はつとに英国シーベ会社の兜《ヘルメット》式潜水器が輸入され、日本でも和製のものが明治五年にはすでに月島の民間会社で製造されていたのである。主としてアワビ採りに用いられていたのだ。
 潜水夫の最も優秀なるものはアラブ人で、これに次ぐ者は沖縄人であるという。ペルシャ湾のアラビヤ沿岸が世界最良の真珠産地で、アラブ人は先祖代々真珠採りが主要な業務、今も尚機械を用いず、裸潜水一点張りでやっている。沖縄人も裸潜水をよくし、特に秀でた者は三十尋の海底まで裸で達すると云われている。
 八十吉に清松はそれ程の深海まで裸で潜るのは不可能である
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