われた血の秘密を語りあかしたのであった。
彼女の胎内に宿った者の中には悪魔がすんでいるのだ。その胎児をおろし、呪われた浅虫家から逃げだすべきであろうか。彼女は良人を愛していた。しかし、それよりも、呪われた血が怖しかったのである。
自分を下賤の生れの者と見て、呪われた血の一員に平然ひきこんだ未亡人もキク子も憎らしい。又、良人すらも、その悪漢の一人ではないか。良家との縁組みは不都合でも、下賤の者ならよかろうというコンタンには変りがないではないか。
咲子はにわかに思いみだれて怒りに狂った。彼女は正司を詰問した。
「あなたが牛肉屋の娘を妻に選んだのは、こんな下賤な者なら癩病人の妻になっても苦情はでまいという肚ですね。私はもうこんな家には居りません」
正司は薄ノロではあるが、金持の子供らしく、チャッカリと、ずるいところ、抜け目のないところを失ってはいない。いずれ、こうなることを覚悟はしていたらしく、ふだんに似ず冷静に応じた。
「オレが癩病患者の子供だということを隠していたのは、済まないと思っている。しかし好きな娘に向って、実はオレの父は癩病になって狂って死んだと云えるわけがないじゃないか。決して悪意があって隠していたわけではない。オレだって、父が癩病を苦にして狂って自殺したときには寝耳に水、その呪われた運命に茫然としたものだ。父が死ぬまで、そうとは知らなかった。父だって、それまで、そうとは知らなかったのだろう。知らなかったからこそ、発病して、にわかに気が狂うほど驚き逆上したのだろうよ。どうか、我々の悲痛な気持を察して、カンベンしてもらいたい」
こう打ちしおれて詫びられると、咲子も愛情のない良人ではない。しばしは返す言葉もない。思わずホッと溜息がもれてしまう。
「癩病って、顔も手足もくずれるそうじゃありませんか」
「そんな話をしてくれるな。今に我身もそうなるかと思えば、毎日鏡を見るのも怖しいばかりだよ。はじめはオデコや眉のあたりがテラテラ光って、コブのようにかたくなるということだ。父の死んだときは、オレはまだ十八という若い時で、癩病などは何も知らないから、父のどこに異状が現れたのか、気がつかなかったが、毎朝、鏡を見るときのオレのおののく切なさ苦しさを察してもらいたい」
「それにつけても、兄様は正直、潔白な人格者ですよ。離れがたい愛人の方と別れて、外国へお去りになったではありませんか。こんな立派な兄様がいらっしゃるから、貴方の卑怯さが尚更腹立たしいのです」
「イヤ、この兄は、あまり神経過敏すぎる。別に癩の徴候が現れたわけではないのに、居ても立ってもいられぬらしく、外国へ逃げてしまった。外国に癩を治す名医がいるならとにかく、そうまで慌てるのも、甚しすぎるというものだ。おまけに、外国へ逃げて、結婚したというではないか。外国人ならだましてもかまわないというのかね。人格者というわけにもいかないではないか」
「本当に結婚なさったの?」
「手紙でそう知らせてきたということだ。もう日本には帰らないと云っているそうだ。外国から帰ってきた人の話でも、アイマイ女と結婚して、酒を浴びて、身をもち崩しているということだ」
「それにしても、癩病だの、自殺だのということが、よく秘密に保てたものですね」
「さア、それだ。それがこの家のガンというものだ。癩病と知って、召使いの者はヒマをとる。一人去り二人去り、一週間目には、一人も召使いがいなくなったよ。中には、癩病と知った当日逃げだした弱虫の慌て者もいたほどだよ」
大家にも拘らず、大勢の召使いが一人残らずそう古くない理由がうなずけるのである。
事件の起ったとき、未亡人のりりしい態度と処置は水ぎわ立っていたそうだ。なまじ召使いに隠し立ててはいけないと思い、一同に、癩病、自殺を打ちあけて、業病の家に奉公もつらいであろうから、自由にヒマをとるように。ただ葬式までは居て欲しい。又、この事実を人に他言しないように。父母兄弟良人妻にも他言だけは慎んでくれ、と、多額の金を与えたという。その策が功を奏して召使いはヒマをとったが、その口から秘密がもれなかったという。肉をえぐり、皮をはぎ、顔の皮までそぎ落しているから、会葬者に屍体を見せるわけにいかない。それで、お通夜には苦労した。すぐ白木の棺におさめ、花田医師は特殊な病状を会葬者に語りきかせてごまかさなければならなかった。
かほどの大事件に度を失うことがなく振舞ったという女丈夫の未亡人が、万引せずにいられない妙な病気があるというから、皮肉でもあるし、いたましい。
咲子は未亡人の心事を思いやった。彼女こそは家族全員の中で、咲子と立場を同じくする者なのだ。彼女も亦呪われた家とは知らずに嫁してきた人である。彼女は知らずに子らを生んだが、その子らにも呪われた血が宿っていると知って、その悲しさ驚きはいかほどであったであろう。それを思えば、未亡人がそれとなく咲子をいたわる気持が、その表現がさりげないだけ、深い同情がこもっているような気がしないでもなかった。そして、今も尚、気品高く凛然たる未亡人の姿を見、その裏にこの悲しさが秘められていると思えば、咲子も我が身を省み、自分もこの運命に辛抱し、悲しさに堪えるべきではないかという考えにもなるのであった。
この家をでて尼になろう。そんなことをトツオイツ考えながら、一日は二日になり三日になり、ニンシンの知れないうちに胎児をおろして、と思い焦るうちに、未亡人の目にニンシンを見破られてしまった。胎児をおろして尼寺へかけこむことも、もはや不可能となったのである。
身分ちがいの嫁と思えば肩身もせまかったが、こうなってみると気が強い。と云って、凛然たる未亡人の気品には勝てないし、ひどく虚無的なキク子にも圧倒されざるを得ないが、弟の一也の皮肉だけは、もう怖くはない。むしろ、こうなると、家族の中で一番気のおけない相手であった。
一也が書生に似合わない舶来の写真機をいじくりはじめたから、
「一也さんも、万引やるんじゃないの。あなた方には怪しからぬ血がいろいろとこんがらがって流れているのだから」
「フン。その代り、天才の血が流れているのさ。もっとも、キミの旦那様だけ、天才の血が外れているらしいぜ、このウチにバカの血だけはない筈だが、どうも奇妙だ。すると癩病の血も万引の血も外れているかも知れねえな。そう思って我慢するがいいぜ。癩病一家へ御降臨あそばしたからッて、牛肉屋の娘がにわかに気が強くなるのは考え物だな」
「あなたの何が天才なのさ。ちょッとした学問を鼻にかけるのは、見苦しいわよ」
「ハハ。愚物には分らねえのさ。マ、写真を撮《うつ》してやるから、せいぜい良い顔を工夫するがいいね」
一也はにわかに写真に凝って、女中から来客まで、やたらに撮しまわる。昔の機械だから、大そう大きな箱で、黒幕をかぶってやる。現像も自分でやらなければならない。始めは不出来であったが、どうやら、うまくなってきた。彼は猛烈な凝り性で、昼夜をわかたず、写真にかかりきっているようであった。
浅虫家はもともと地方の旧家で大金持であった。千町歩ちかい田地を持っている上に、山林や海抜二千|米《メートル》ほどの山岳までいくつとなく所有している。その山林から銀がでたり、十年ぐらい前から大して苦労もしないのに石油がでて、前途益々有望、居ながらにして益々大金がころがりこむこと明々白々、まったくお金などというものは、この家にとっては湯水と変りなくタダで出てくるものなのである。
これより石油の大会社をつくり、大発掘しようというので、薄ノロの正司は多忙である。ところが良くしたもので、薄ノロながら、会社管理については、彼は決して薄ノロではない。もっともスギ子未亡人という才媛が背後に控えてサイハイをふるい、一々指令を発している。正司に自ら発明する才がなく、小才をはたらかそうとする野心がないだけ、却って危気《あぶなげ》がない。二十三の若冠ながら充分に社長の重責を果している。咲子の知りそめた書生のころとは打って変って、日に日に貫禄がついてくるから、咲子も案外な思い、あらためて、たのもしくも、いとしくもなる思いであった。結婚したてのころとちがって、正司を訪ねてくる人は、立派な大紳士、大紳商という見るからに威風堂々たる人々で、正司はそれらの人々と何のヒケ目もなく談議している。若僧だけに、甚だひき立って、大紳士にもまして立派に見える。咲子もいつまでも牛肉屋の娘の気持ではいられない。正司と同じ速力で奥様の貫禄をつくらなければならないが、追いつきがたい程であった。
ある昼下りのことである。花田医師がフラリと咲子の部屋へやってきた。なんの遠慮もなくヌッと大きな顔を現して、
「やア。若奥さん。あなたのところへゴキゲン伺いは今日がはじめて、御降嫁以来御無沙汰していたが、うん、こうして御対面、シミジミ拝顔すると、さすがに正司君は目が高い。ヒナには稀な美顔ですなア。いつだったか、正司君の診察をしてあげた時は、あなたはまだ山家育ちの風情であったが、今ではすでに立派な浅虫家の若奥様。イヤ、お見事、お見事。天性利発の性がなくては、こうは変るものではない。当家の客人たるヤツガレも、一安心、また、敬服もいたした。天晴《あっぱ》れ、天晴れ」
と大そう浮かれてお世辞がよい。その筈である。彼は手にウイスキーのビンをぶらさげ、又片手にはカップを持っている。本日はあいにく未亡人もキク子も外出しているので、咲子を肴に一杯かたむけるコンタンである。すでにホロ酔いのキゲンであった。
「女中というものは口サガないから、すでに御存知であろうが、かの母と娘なる深窓の二女が外出あそばすと、お帰りのミヤゲが多くてねえ。しかし、未亡人は、常にあなたの服飾について意を用いておられる。意のあるところは充分に感謝しなければなりませんぞ」
どっちが口サガないか分りやしない。
「昼のうちから御酒を召上って、急病人ができたときにどうなさいますの」
「ナニ、医者は東京にワシ一人ではあるまいて。第一ワシは漢方に洋学のサジ加減をちょッと加味したような雑種なのさ。ワシの倅《せがれ》が三年前に医学校を卒業して、今ではワシよりもサジ加減がよい。特に婦人には親切をつくすそうだから、あなたも診てもらいなさい。そういえば、あなたもニンシンの由承ったが、当家の初孫、まことにお目出たい」
咲子はからかわれていると思った。あまりにも皮肉、残酷なからかいというものだ。
咲子は涙ぐんだ。
「先生は呪われて生れる子供をフビンと思わないのですか」
こう怨じて詰問すると、まさかそれを知るまいと思っていたらしく、花田はさすがにビックリ仰天、酔眼をパチクリさせて、しばし酒臭い大息をフウフウ吐いている。
「フン。正司君もちかごろは見ちがえるような若社長ぶり、見上げたものだと思っていたが、持って生れたバカの性根は仕方がない。余計なことを言わなければよいものを、無役《むえき》に人を嘆かせるばかりのものを」
「いいえ。私がそれを知りましたのは主人からではありません。一也さんが、まるでヨソのウチの話のように皮肉タップリ語っておきかせだったのです」
「フン。あの一也が。そうだったか」
花田はフキゲン千万な面持だった。
「あの小才子には困ったものさ。同じ兄弟にも色々あるものだ。キョロ/\と気をまわしてばかりおる」
花田は一也を好まぬらしく、露骨に不快を隠さなかった。
「ナア。浅虫家の若奥様よ。不快なことはすべて忘れてしまうがよい。忘れるが第一。忘れてしまえば、誰の血も呪われてはいないのだ。癩病の血も、万引の血も、忘れてしまえば、誰の中にも流れてはいないものだて。クヨクヨするのが、何よりよろしくない。つまらぬことが世間にもれては一大事。みんな忘れて暮しなされ」
花田は咲子をなぐさめてくれた。彼は無遠慮で、礼儀知らず、わが家よりもワガママの仕放題にふるまっているが、こうして話をしてみると、シンは悪心のある人のようではなかった。
翌日、咲子は未亡人の部屋へよばれた。あたりに人の気配のないのをたしかめた上
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