はありませんか。こんな立派な兄様がいらっしゃるから、貴方の卑怯さが尚更腹立たしいのです」
「イヤ、この兄は、あまり神経過敏すぎる。別に癩の徴候が現れたわけではないのに、居ても立ってもいられぬらしく、外国へ逃げてしまった。外国に癩を治す名医がいるならとにかく、そうまで慌てるのも、甚しすぎるというものだ。おまけに、外国へ逃げて、結婚したというではないか。外国人ならだましてもかまわないというのかね。人格者というわけにもいかないではないか」
「本当に結婚なさったの?」
「手紙でそう知らせてきたということだ。もう日本には帰らないと云っているそうだ。外国から帰ってきた人の話でも、アイマイ女と結婚して、酒を浴びて、身をもち崩しているということだ」
「それにしても、癩病だの、自殺だのということが、よく秘密に保てたものですね」
「さア、それだ。それがこの家のガンというものだ。癩病と知って、召使いの者はヒマをとる。一人去り二人去り、一週間目には、一人も召使いがいなくなったよ。中には、癩病と知った当日逃げだした弱虫の慌て者もいたほどだよ」
大家にも拘らず、大勢の召使いが一人残らずそう古くない理由がうなずけるのである。
事件の起ったとき、未亡人のりりしい態度と処置は水ぎわ立っていたそうだ。なまじ召使いに隠し立ててはいけないと思い、一同に、癩病、自殺を打ちあけて、業病の家に奉公もつらいであろうから、自由にヒマをとるように。ただ葬式までは居て欲しい。又、この事実を人に他言しないように。父母兄弟良人妻にも他言だけは慎んでくれ、と、多額の金を与えたという。その策が功を奏して召使いはヒマをとったが、その口から秘密がもれなかったという。肉をえぐり、皮をはぎ、顔の皮までそぎ落しているから、会葬者に屍体を見せるわけにいかない。それで、お通夜には苦労した。すぐ白木の棺におさめ、花田医師は特殊な病状を会葬者に語りきかせてごまかさなければならなかった。
かほどの大事件に度を失うことがなく振舞ったという女丈夫の未亡人が、万引せずにいられない妙な病気があるというから、皮肉でもあるし、いたましい。
咲子は未亡人の心事を思いやった。彼女こそは家族全員の中で、咲子と立場を同じくする者なのだ。彼女も亦呪われた家とは知らずに嫁してきた人である。彼女は知らずに子らを生んだが、その子らにも呪われた血が宿っていると知って、その悲しさ驚きはいかほどであったであろう。それを思えば、未亡人がそれとなく咲子をいたわる気持が、その表現がさりげないだけ、深い同情がこもっているような気がしないでもなかった。そして、今も尚、気品高く凛然たる未亡人の姿を見、その裏にこの悲しさが秘められていると思えば、咲子も我が身を省み、自分もこの運命に辛抱し、悲しさに堪えるべきではないかという考えにもなるのであった。
この家をでて尼になろう。そんなことをトツオイツ考えながら、一日は二日になり三日になり、ニンシンの知れないうちに胎児をおろして、と思い焦るうちに、未亡人の目にニンシンを見破られてしまった。胎児をおろして尼寺へかけこむことも、もはや不可能となったのである。
身分ちがいの嫁と思えば肩身もせまかったが、こうなってみると気が強い。と云って、凛然たる未亡人の気品には勝てないし、ひどく虚無的なキク子にも圧倒されざるを得ないが、弟の一也の皮肉だけは、もう怖くはない。むしろ、こうなると、家族の中で一番気のおけない相手であった。
一也が書生に似合わない舶来の写真機をいじくりはじめたから、
「一也さんも、万引やるんじゃないの。あなた方には怪しからぬ血がいろいろとこんがらがって流れているのだから」
「フン。その代り、天才の血が流れているのさ。もっとも、キミの旦那様だけ、天才の血が外れているらしいぜ、このウチにバカの血だけはない筈だが、どうも奇妙だ。すると癩病の血も万引の血も外れているかも知れねえな。そう思って我慢するがいいぜ。癩病一家へ御降臨あそばしたからッて、牛肉屋の娘がにわかに気が強くなるのは考え物だな」
「あなたの何が天才なのさ。ちょッとした学問を鼻にかけるのは、見苦しいわよ」
「ハハ。愚物には分らねえのさ。マ、写真を撮《うつ》してやるから、せいぜい良い顔を工夫するがいいね」
一也はにわかに写真に凝って、女中から来客まで、やたらに撮しまわる。昔の機械だから、大そう大きな箱で、黒幕をかぶってやる。現像も自分でやらなければならない。始めは不出来であったが、どうやら、うまくなってきた。彼は猛烈な凝り性で、昼夜をわかたず、写真にかかりきっているようであった。
浅虫家はもともと地方の旧家で大金持であった。千町歩ちかい田地を持っている上に、山林や海抜二千|米《メートル》ほどの山岳までいくつとなく所有している。その山林から銀
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