追ッつけ帰るだろうと軽く信じて退散したにきまっております。私どもの調査でも、誰一人この点に疑念をいだいている者はおりませんでした」
未亡人もこういわれて軽く笑い、
「その智恵は花田先生が指図して下さったのです。この後始末ではどれぐらい花田先生のお世話になったか知れません。その後も陰になり日向になり当家をまもって下さいましたが、キク子の婚約がととのいましたのも、一ツにはキク子を救って下さる有難いお志、又一ツには、先生の身に万が一のことが起った場合、若先生に代って当家をまもらせて下さるための有難いお志。なぜなら、あなた様が御存知の通り、この土蔵の中には、五年越し陽の目を見ることも少く病気がちの人間が医薬を必要としているからでございます」
未亡人は落着いて語りつづけた。
「すべてお見透しですから、今は何を隠しましょう。ただ、当時の切ない事情をおききとり下されませ。キクが庭内を逍遥の折、矢庭《やにわ》に躍りかかった甚吉に首をしめられ手ゴメにされて身ごもったのでございます。一夜キク子が自害して果てようとするのを、かねて私が怪しんでおりました為に、事前に察して取り押え、事の次第を知るに至りましたが、父は激怒逆上のあまり庭前を通りかかった甚吉をこの居間へよびこみ一刀のもとに刺し殺してしまったのです。駈けつけて下さいました花田先生の親切なお指図により、甚吉の顔の皮をはぎ、癩病、発狂、自殺と見せて葬り、主人は生きてこの土蔵の中に今も暮していることはお見透しの通りでございます。博司は生来虚弱のところへ、この秘密の暗さにたえがたく、その切なげな日常を見かねて、海外へ送り、彼の地で安穏に生涯を終らせることにはからいましたのです」
「奥様、よくお話し下さいました」
新十郎は一礼して立上った。
「午後三時には警察の者が参って、花田、野草両名を殺した犯人を捕えることになっております。ですが、それには玄関脇の応接間を拝借させていただくだけで沢山だろうと思います。私どもは無論のこと、警察の者も、再びこの土蔵の前へ立ち寄ることは有りますまい。奥様、末長く万引をお続けなさいませ。お嬢様が結婚あそばすと、一人分の食物から余裕を出すのは、ちょッと苦心なさいますなア。お気の毒ですが、花田、野草二人殺しの犯人一也さんは捕えなければなりますまい」
新十郎は二人をうながし、深い感動をこめて茫然と見送る二人の
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