その悲しさ驚きはいかほどであったであろう。それを思えば、未亡人がそれとなく咲子をいたわる気持が、その表現がさりげないだけ、深い同情がこもっているような気がしないでもなかった。そして、今も尚、気品高く凛然たる未亡人の姿を見、その裏にこの悲しさが秘められていると思えば、咲子も我が身を省み、自分もこの運命に辛抱し、悲しさに堪えるべきではないかという考えにもなるのであった。
この家をでて尼になろう。そんなことをトツオイツ考えながら、一日は二日になり三日になり、ニンシンの知れないうちに胎児をおろして、と思い焦るうちに、未亡人の目にニンシンを見破られてしまった。胎児をおろして尼寺へかけこむことも、もはや不可能となったのである。
身分ちがいの嫁と思えば肩身もせまかったが、こうなってみると気が強い。と云って、凛然たる未亡人の気品には勝てないし、ひどく虚無的なキク子にも圧倒されざるを得ないが、弟の一也の皮肉だけは、もう怖くはない。むしろ、こうなると、家族の中で一番気のおけない相手であった。
一也が書生に似合わない舶来の写真機をいじくりはじめたから、
「一也さんも、万引やるんじゃないの。あなた方には怪しからぬ血がいろいろとこんがらがって流れているのだから」
「フン。その代り、天才の血が流れているのさ。もっとも、キミの旦那様だけ、天才の血が外れているらしいぜ、このウチにバカの血だけはない筈だが、どうも奇妙だ。すると癩病の血も万引の血も外れているかも知れねえな。そう思って我慢するがいいぜ。癩病一家へ御降臨あそばしたからッて、牛肉屋の娘がにわかに気が強くなるのは考え物だな」
「あなたの何が天才なのさ。ちょッとした学問を鼻にかけるのは、見苦しいわよ」
「ハハ。愚物には分らねえのさ。マ、写真を撮《うつ》してやるから、せいぜい良い顔を工夫するがいいね」
一也はにわかに写真に凝って、女中から来客まで、やたらに撮しまわる。昔の機械だから、大そう大きな箱で、黒幕をかぶってやる。現像も自分でやらなければならない。始めは不出来であったが、どうやら、うまくなってきた。彼は猛烈な凝り性で、昼夜をわかたず、写真にかかりきっているようであった。
浅虫家はもともと地方の旧家で大金持であった。千町歩ちかい田地を持っている上に、山林や海抜二千|米《メートル》ほどの山岳までいくつとなく所有している。その山林から銀
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