やってのけたろうさね。夢之助は午後の三時すぎに荒巻をともなってわが家へ帰り、時ならぬ昼酒を飲んだのは早寝と見せてぬけだすため。ねむると見せて荒巻にはクロロホルムをかがせたのち、裏木戸から忍びでたのさ。広小路で捨吉に命じて中橋別邸へ行李をとりに走らせ、予定の仕事を無事完了したのが九時ちょッとすぎたころ。再びわが家へ忍びもどって元のネマキ姿となり、女中に水を命じたのは芸の細いところで、ズッとねていたと見せるためだ。ここに哀れをとどめたのは、中橋英太郎さね。ヒサの妾宅を車のくるのを待ちきれずとびだしたのが十一時ちかいころ、根岸の夢之助の妾宅へたどりついたのが、かれこれ十二時ちかい刻限であったろう。中橋の不意の訪れに仰天したのは夢之助だ。荒巻にはクロロホルムをかがせてあるから、かねて用意の如くに裏から逃がす術がねえや。これは仰天するだろうさね。女中がグッスリ寝入りばなで目を覚さないのを幸いに、毒くらわば皿までと表へまわってクロロホルムでねむらせて絞殺したが、この死体は縁の下かなんぞへ一時隠しておいて、その翌る夜、ゆっくり処理したものだろう。憎いヒサを片づけ、あつらえむきに中橋の始末もつけて、これで天下晴れて荒巻と添いとげたい夢之助の方寸だろうが、中橋がヒサの母に夢之助の妾宅へ参るとハッキリ言明しているのは天の声、実に不正はおのずから破れるものだ。いかに万全を施しても、一人の智恵は所詮知れたものだよ」
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虎之介はわが家へ戻らずに花廼屋の玄関先に突ッ立ち、因果先生を玄関口へよびだして、なんにも云えずにニヤリニヤリ笑っている。その薄気味の悪いこと。さすがの花廼屋もあてられて、苦い顔。
「シナ産の黒豚が笑っていると思ったら、二軒隣りの豪傑じゃないか。男女の道で真犯人が解けたかい」
「ハッハッハ。犯人は女だ」
「ブッ。男女の道に見切りをつけたところはお見事」
「貴公の心眼はどうだ。誰知るまいと思いのほか、天の声。実に不正はおのずから破れるてえことを知るまいな」
「知らないねえ。失礼だが犯人は男でげす。クロロホルムと変装。急所はここにありますねえ。薬物に通じて、芝居道に通じたる者。しかも変態にして吸血鬼。ねえ。犯人はただ一人。小山田新作あるのみ」
「ゲゲッ」
と虎之介は腹をシッカとかかえて、断末魔の如くに笑いだした。その日の午後、例の一行をひきつれ、所轄署へ出頭して係りの探偵一同に参集をもとめた新十郎は、犯人のカラクリを静かに説きあかしてきかせた。
「今まで接した犯罪のうちで、この事件ほど巧妙に組み立てられたものはありませんでした。カラクリは幾重にもはりめぐらされて重点を巧みにそらし、殆どつけいる隙がない如くに完璧な構成を示しております。メンミツに計画され、一ツ一ツが予定の如く確実に実行されたもので、一石が一石ごとに意味を果し、殆どムダ手というものを見出すことができません。しかし、かほど完璧に遂行された犯罪も、なお完璧の故に弱点はあるのです。つまり最も重点から外れて見えるところに、隠れた重点があるということであります」
新十郎は例になく奇妙な前説をつけ加えた。彼がこれほど力むのは、よほど犯人の手際に感服したからだろう。
「この事件の結び目をとく手がかりは、二ヶ所にあるのですが、まず第一には、女から車夫になり美男子に変じ、甚しい苦労を重ねてまでも中橋家へ行李を送らねばならなかったのはなぜであるか、ということです。曰く、殺された女がヒサであるということを分らせるため。曰く、殺された日時や場所が直ちに分ってもらいたいため。以上の理由にもとづくのです。犯人はヒサの両眼に一寸釘をうち、いかにも怨みの兇行らしく見せかけていますが、真に怨む者の兇行ならば、殺すことによって目的を達するわけで、ヒサがいつどこで殺されたかということは分ってもらいたくないことに相違なく、又、兇行の発覚が一日でもおそく、できることなら発覚されずにすましたいに相違ありません。中橋家へ行李を届けるために払った大苦心を、行李を隠すために用いるのが自然にきまっています。したがってヒサの眼に釘をうって怨みの兇行の如くに見せかけているのは、実は最もそうでないということ、そして、ヒサが殺されたことが一日も早く知られることが犯人の利益になること、これが即ち完璧の故に生じた弱点の一ツであります」
新十郎は一息ついて、又、語りつづけた。
「以上の結び目がとければ、おのずから次のことが解けてきます。単に中橋家へ届けるだけなら、真砂町の別荘だけでよかった筈です。なぜ、さらに本邸へ運ばせようとしたか? これ即ち、男に変じ、女に変ずる手段によって一人物の男女に化けての犯行であると見せるため、これによって同一人物が男女二様に変装する故に役者に関係ありという結論が生じてきます。それ故
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