いと云って騒ぎだしたのが午後一時ごろ。してみると、十一時から一時までの二時間の間に、ヒサは殺されて行李詰めにされたようです。これは先ず確実と思われます」
 一同に異議がないらしいので、新十郎は語りつづけた。
「一人の女、もしくは女装した男のいずれかが、その日の夕方六時ごろ、とっぷり日のくれた上野の山下で音次という車夫をよびとめました。帝大裏と不忍池《しのばずのいけ》の間の淋しい道で音次にクロロホルムをかがせて昏倒させ、女装をぬいで男の車夫に変装して車をひいて走りだすまでに、三十分はかかりますまい。犯人は車夫の姿で車をひいて一散に駈け戻ります。行く先は浅草。飛龍座の隣りの小屋です。一時間なら楽々到着できます。行李をつんで再び同じ道を戻ります。まだ七時半にはならなかったでしょう。かくて約一時間。八時半ごろ、本郷真砂町の中橋別邸へ到着しました。その玄関へ行李を下すと、帝大構内の淋しいところへ車をすてて、車夫の服装をぬぎ、持参の紳士服をきて外套をつけ、ハットをかぶり、忽ち青年紳士に変りました。さて、出発当時の女装一式を包みにしてたずさえた彼もしくは彼女は、急ぎ足に切り通しを降り、九時ちょッと廻ったころに上野広小路でモーロー車夫の捨吉によびかけました。捨吉は彼の奇妙な命令を体して真砂町の中橋別邸へと急ぎ去る。これで犯人のその日の行動は終りをつげたのです」
 虎之介はクビをふって、
「音次をよびとめた女と、捨音をよんだ男とは、別の人間さね。ただし一心同体ではあるが、な。失礼ながら、あなたはまだお若い。男女の道に心得がなくては正しい推理をあやまりますぞ。なア、お梨江嬢。結城さんを名探偵に仕込むためにヨメを探してあげたいと思うが、どうだろう」
 そこへ古田老巡査が慌ただしく駈けこんできた。
「只今警視庁から急報がありましてな。中橋英太郎が腐爛した死体となって隅田川の言問《こととい》のあたりへあがりましたぞ。水死ではなくて、クビをしめられて死んでおったそうです」
 新十郎はガク然色を失って立ち上った。
「シマッタ! 推理が狂ったか! イヤ。待て、しばし」
 彼は直ちに冷静をとりもどした。すばやく服装をととのえ、一同は馬を急がせて現場へ急行する。新十郎は火を吐くような目で、中橋の死体を睨みつづけていた。
 彼は怒り声で叫んだ。
「この犯人はヒサを殺した犯人と同一人です。ごらんなさい。二人は同じように死んでいます。そう苦しくもなかったように。殆ど抵抗した様子もなく。つまり、二人ともクロロホルムをかがされてから絞殺されているのです」
 彼はすぐふりむいた。
「さて一夜、ゆっくり考えてみましょう。明日の午後、犯人を捉まえようではありませんか」
 一同をうながして帰途についた。神楽坂へ戻りついて、門前で虎之介と別れるとき、ニッコリ笑って、ささやいた。
「音次がのせた女と、捨吉に用を云いつけた男は、たった一ツですが重要な点で類似しているのです。二人とも、カサばってはいるが、そう重くはないような包みを持っていたのです。では、おやすみ」

          ★

 氷川の勝邸で海舟の前にかしこまっているのは云うまでもなく虎之介。太陽もあがらぬころから、勝邸の門があくのを待っていたという慌ただしい駈け込み訴えである。
 日毎々々の報告を連日怠りなく講じておいたから、ちょうど読みきり講釈のデンで、ただ今最終回をつとめ終ったところ。まだ日はそう高くはない。奴め握り飯を腰にぶらさげてきて海舟の朝食に御相伴したらしく、彼のお膳の横には竹の皮がちらかっている。
 海舟は食後の茶を味わい、再び砥石に水をしめしてナイフをといだ。静かにとぎ終って、薄い刃に吸いこまれるように眺めふけっていたが、チョイと蚊でも払うような軽さで小手を後にまわしたと思うと、後頭をきり、懐紙で血をふいた。それを数回くりかえしたが、やがて、おもむろに謎をといてきかせた。
「新十郎の説の如くに、この犯人はただ一人、共犯はないぜ。上野山下と広小路に出没した男女二人いずれも同じような大きな荷物を持っていたのが同一人の証拠だよ。この犯人は、夢之助さ。女剣劇の立役者、車夫にも美男子にも化けるのは自由自在というものだ。かほどの苦心を重ね術をつくして死体詰めの行李を運びだしたのは、殺した場所と時間を狂わせるため。又、犯人を男と見せかけるため。本郷を中心に行李が往復している如くに見せかけたのは、大方小山田の犯行と思わしめるコンタンでやったのだろう。かくの如くに術を施しおかなくちゃア、ヒサは夢之助の楽屋部屋で行方知れずなったのだから、まず第一に疑られるにきまってらアな。そこを見てのカラクリだ。夢之助は幼少より芸人の中に育ち、軽業手妻を見つけて育っているから、指先の捌きはコツをわきまえ、クロロホルムをあやつるぐらいは器用に
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