て狂いを生じる男ではない。彼はむろん別天王と通じているぜ。彼はゾッコン惚れているのさ。だから妙心が別の美女を快天王に仕立てて別天王を蹴落すのを見ていることができない。不具の子、不肖の子ほど可愛いと云うが、別天王もセムシでブ男の千列万郎がひとしお哀れであったろうさ。又その悲恋のむごたらしさに堪えがたかったであろうよ。世良田はそれが見るに忍びなかったのだ。いかな丈夫といえども環境によってとるべき手段に狂いを生じるのは、人間のさけがたいところだ。邪教という環境に住みなれて、世良田ほどの男も別天王を救うに人を殺す暗愚な手段を用いてしまったが、恋に盲いると、頭の冴えの非凡なるものも一朝にして曇るのが人間の常でもあるのさ。さすがに世良田は利口者だから、この三名から肝をぬいて、いかにもそこいらの業病人が生き肝をぬいたように見せかけたが、ノド笛なんぞ噛みきらなきゃアよかったものを、しかし、ここがカンジンだアな。これには深い曰くがあるぜ。即ち彼が人を殺したのは別天王を救うため、又、悪者をこらしめるためだ。彼にとっては、別天王を苦しめる者は悪者さね。そこで別天王の懲しめによって悪者は狼にノド笛をかみきられるという正しい行事の形式を踏まなければ気持がおさまらなかったのが一ツ。又一ツには、奴はメスメリズム(催眠術)を用いているぜ。ヤミヨセに信徒が踊り狂いのたうちまわるのがメスメリズム。狼に食われたと思うのもメスメリズム。メスメリズムにかけておいて、なんなくノド笛をかみきって殺したのだ。さすれば死ぬ者の抵抗がないからだ。これが幸三と佐分利殺しの実情さ。月田まち子を殺したのは、全作、もしくは全作の妹ミヤ子、もしくは両者の共犯なのさ。ミヤ子が見てきたヤミヨセの実景に似せて、カケコミ教の犯罪と見せるために、同じような殺し方をしておいたのさ。そしてアベコベにカケコミ教の謀《はかりごと》だと見せかけたのだよ。これがまち子殺しのカラクリさ。ついでに附言しておくが、快天王の声というのは、世良田が術を使っているのさ。なに、腹話術といって、西洋に遊んだ者は諸方に見かける陳腐な芸さ。場末の寄席芸人が演じて見せる芸だアさ」

          ★

 とっくに午《ひる》をすぎている。虎之介がとんで帰ると、すでに新十郎の一行は出動したあとである。アッと驚くとたんに帯がとけてしまったのを、ひきずりながら一目散に走りだそうとすると、書生の晏吾がよびとめて、
「オットット。虎大人。どこへ飛んで行くツモリだね」
「ヤ。しまった! オレの行く先はどこだ」
「カケコミ教だよ。帯ぐらいしめるのを忘れなさんな」
「ナムサン、シマッタ!」
 せっかく種を仕込んで来たのに先手をうたれては助からない。神楽坂から久世山までは谷を一ツ越すだけだが、走っても二十分はかかる。ふとっているから心臓の働きがまことに不充分で、カケコミ教へ辿りついた時には顔面蒼白、全身強直してヒキツケを起しそうである。哀れや、おそし。すでに警官百名、今や隊伍をととのえてひきあげるところ。すでに事件は終ったのである。
「どうした? 世良田摩喜太郎をひッとらえたか」
 警官隊の先頭に立つ剣術の弟子に向ってきくと、
「ハッ、世良田と別天王は見事に自害して果てました」
「ムムム」
 と歯をくいしばって、白目を返し、虎之介はドスンとその場へひっくり返った。精魂つき果てたのである。
 その晩、新十郎の書斎へ集った虎之介と花廼屋は、新十郎が海舟の推理をくつがえすのをウットリときき入っていた。
「いいえ。全作とミヤ子は事件に関係がないのですよ。三回にわたる殺人事件は、全部世良田の単独犯行でした。勝先生は実際の捜査にたずさわっておられませんから、全作、ミヤ子を第三回目の犯人と見立てられたのですが、これはまことに当然。私とても、当初はテッキリそうだろうと見込みをたてていたのです。しかし牧田さんからヤミヨセの話をきかせていただいているうちに、次第に事の真相が分ってきたのです。あの死体を一見すれば、傷は二ヶ所しかないことが分ります。一ヶ所はノド笛をかみきった傷、一ヶ所は腹をさいた傷。しかし腹をさいたのは、着物の上からではなく、帯をとき、着物をまくって、腹をさいております。さすればノド笛をかみきられたのが先にできた致命傷、あるいは致命傷にちかい抵抗不能の状態を与えるに足る深傷《ふかで》であったと分るのですが、ノド笛にかみついた以上は被害者の真ッ正面から抵抗をうけなければなりません。即ち被害者は死にもの狂いの力で敵の毛をむしり着衣をむしり肉をむしり肉にかみつき、当然犯人に相当の傷を与えた上に手に何か握りしめているとか、あたりに何かが落ちているとかしそうなもの、しかるに何の抵抗の跡もなく、人の毛も犬の毛も、あたりに一本落ちているのを見かけることもできません
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