心眼が具っていたためであった。
 牧田は新十郎にこう報告した。
「私が与えられた任務は、今日の事件を予期してのことではなくて、神山幸三、佐分利ヤス、マサ、三名の変死の謎をさぐることでありました。それがはからずも今回の事件が起るに至って、はじめていくらか明瞭なリンカクを知り得たと申しましょうか。なぜかと申しますと、教団の奥のことは、信徒といえども臆測するのみで、その正体は鉄扉の彼方に距てられておりましたからです。はからずも十一月十一日は赤裂地尊の祭日で、この地神は荒ぶる神、一名赤裂血とも書き、血を最も愛する魔神とされているのですが、この魔神の怒りをやわらげて平和の守護神たらしめるためにイケニエを捧げる行事を「ヤミヨセ」と称し、信徒にとってはヤミヨセの言葉をきくだにふるえあがるほどの怖しい行事とされております。信仰の足らない信徒を狼に噛み殺させてイケニエにする行事だそうで、本殿の奥に於ては随時不信の徒をとらえて行われているそうですが、一般信徒に公開して行われるのは十一月十一日、赤裂地神の祭日、一年にただ一日だけであります。そして当日、一般信徒のとりかこむ真ッ暗闇の中で十数名の信仰足りぬ男女が次々と狼に噛み殺されたのですが、その一人に月田まち子も加えられておりました。彼らは次々と断末魔の悲鳴をあげて血の海の中で噛み殺されて行ったのですが、しかし燈火がついてみると、彼ら一同死せると同様気を失ってはおりますが、どこに怪我があるわけでもありません。一滴の血も流れてはおりません。やがて正気にかえりスゴスゴと自分の席へ戻ったのですが、月田まち子も例外なく正気にかえり、どこに怪我した様子もありませんでした」
「グレートデンを飼っているそうですが、それと狼と関係があるのですか」
「それは関係がないと思います。信徒の中にも何か関係があるように思っている向きもありますが、実は世良田摩喜太郎が帰朝のみぎり番犬用に買ってきたもので、ヤミヨセの行事には、噛まれる者のむごたらしい悲鳴慟哭はうちつづきますが、猛獣の音はきこえたことがありませんでした」
「ヤミヨセの行事は、それで無事終ったのですか」
「左様です。その他いろいろありましたが、無事終ったことにはマチガイございません。ですが、先程も申上げました通り、このヤミヨセの行事には、先の幸三、佐分利母娘の事件について暗示を与えるものがありましたのです。それには先ず天王会の教義を申上げる必要があるのですが、この教会では安田クミを教祖にたて、これを広大天尊、赤裂地尊の化身たる別天王と崇めることは一般に知れ渡っておりますが、このほかに快天王と称する隠し神があるのです。「隠し神」と申すのもこの教会の特殊な用語ですが、つまりこの神の本体が分らないのです。一説に赤裂地尊の荒ぶる姿であると申しますが、それも臆測にすぎません。快天王はヤミヨセの時に限って出現するものとされておりますから、一般信徒は一年に一度だけこの神の現れを見聞できるわけですが、これこそはあらゆる信徒をして一夜に白髪たらしめるに足る魔力を具備いたしておるのです。即ちかの恐怖にみちたヤミヨセの行事を司会するものは快天王であります。彼は世良田摩喜太郎の問いに答えて、ああせよ、こうせよと命じますが、その言葉はハッキリときこえて参りますが、いずこより来たる声か、それを発する言葉の主はついぞ知ることができません。あるときはモノノケの発する声の如く怖しく、あるときは悲しめる美女の如く哀切に、あるときは母を恋うる幼児の如く物悲しく、千差万別、泣くが如くむせぶが如しと思えば海山を裂くが如くにすさまじく、密偵たる私といえども、そのいずこより、又、いかにして発する声か知りうる術がありません。この謎は幹部といえども知るあたわず、ひたすら魔神の魔力の実在を信じ、これによって教団の基礎は不動のものの如くであります。つまり、信徒の不信を告発しその罪状をあばくのも、狼をよんでけしかけるのも、すべて快天王の声によってなされるからで、ヤミヨセの恐怖こそは快天王への恐怖にほかならず、信徒たるものの快天王を怖るることは言語に絶しておるのです」
「何者かサクラを使って発声せしめているのではありませんか」
「誰しも一度はその疑いをもつのです。いかな信徒といえども、無批判に魔神の実在を信ずるものではございません。しかし、快天王の声は、ある時は地下よりの如く、ある時は頭上よりの如く、しかし常に必ず中央のいずこよりか聴えて参るのです。即ち、ヤミヨセの行事は広間に円陣をつくり、中央に空地をのこし、空地の中央にただ一人世良田摩喜太郎が坐をしめて、快天王の出現を乞い、その告発を乞うのであります。即座にそれに応じて快天王の怖るべき告発が発せられますが、円陣のどこに坐しても、その声は自分の前方にきこえます。快天王の声
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