て狂いを生じる男ではない。彼はむろん別天王と通じているぜ。彼はゾッコン惚れているのさ。だから妙心が別の美女を快天王に仕立てて別天王を蹴落すのを見ていることができない。不具の子、不肖の子ほど可愛いと云うが、別天王もセムシでブ男の千列万郎がひとしお哀れであったろうさ。又その悲恋のむごたらしさに堪えがたかったであろうよ。世良田はそれが見るに忍びなかったのだ。いかな丈夫といえども環境によってとるべき手段に狂いを生じるのは、人間のさけがたいところだ。邪教という環境に住みなれて、世良田ほどの男も別天王を救うに人を殺す暗愚な手段を用いてしまったが、恋に盲いると、頭の冴えの非凡なるものも一朝にして曇るのが人間の常でもあるのさ。さすがに世良田は利口者だから、この三名から肝をぬいて、いかにもそこいらの業病人が生き肝をぬいたように見せかけたが、ノド笛なんぞ噛みきらなきゃアよかったものを、しかし、ここがカンジンだアな。これには深い曰くがあるぜ。即ち彼が人を殺したのは別天王を救うため、又、悪者をこらしめるためだ。彼にとっては、別天王を苦しめる者は悪者さね。そこで別天王の懲しめによって悪者は狼にノド笛をかみきられるという正しい行事の形式を踏まなければ気持がおさまらなかったのが一ツ。又一ツには、奴はメスメリズム(催眠術)を用いているぜ。ヤミヨセに信徒が踊り狂いのたうちまわるのがメスメリズム。狼に食われたと思うのもメスメリズム。メスメリズムにかけておいて、なんなくノド笛をかみきって殺したのだ。さすれば死ぬ者の抵抗がないからだ。これが幸三と佐分利殺しの実情さ。月田まち子を殺したのは、全作、もしくは全作の妹ミヤ子、もしくは両者の共犯なのさ。ミヤ子が見てきたヤミヨセの実景に似せて、カケコミ教の犯罪と見せるために、同じような殺し方をしておいたのさ。そしてアベコベにカケコミ教の謀《はかりごと》だと見せかけたのだよ。これがまち子殺しのカラクリさ。ついでに附言しておくが、快天王の声というのは、世良田が術を使っているのさ。なに、腹話術といって、西洋に遊んだ者は諸方に見かける陳腐な芸さ。場末の寄席芸人が演じて見せる芸だアさ」

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 とっくに午《ひる》をすぎている。虎之介がとんで帰ると、すでに新十郎の一行は出動したあとである。アッと驚くとたんに帯がとけてしまったのを、ひきずりながら一目散に走り
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