れて立ち去るのを見すまして、藤兵衛を一突きに刺し殺したのさ。お槙が酔っ払って土蔵へあばれこんだとき、カケガネがおりていたのは、加助が中からかけたのだ。そのときは五寸釘を下していたに相違あるまい。殺したあとの始末をつけていたのさ。落し物はないか、跡を残しちゃアいまいかと、律儀者だけに、イザとなると、度胸もつくし、用心もいい。家内の静まるのを待ってソッとぬけだして無事わが家へ立ち戻ることができたが、名もない屋台のコップ酒で酔い痴れて帰りましたなんぞと大そう行き届いたことを云っているのだよ」
 虎之介はホッと溜息をついた。心眼の読みの深さ、正確さ。あまりの神技に、ただ溜息をもらすの一手、感涙にむせぶが如く、茫然と言葉を失っている。

          ★

 正午の勢揃いまでには間があったが、虎之介は持てるものの心のゆたかさ、出家遁世なぞというさもしい気持にはなれないから、十時ごろには腰に午《ひる》の握り飯をぶらさげて新十郎の書斎の方をニコヤカにチラチラ横目をくれながら、結城家の庭をブラブラしている。
 今日は、彼の他にもう一人妙なヤジウマが早朝から詰かけている。お梨江である。朝の新聞で紳士探偵出馬の記事を読んだから、私も探偵の心眼を働かして犯人を捕まえてあげましょうというので、馬にまたがって早朝から乗りこんでいる。新十郎の書斎へ詰かけて、
「あなた、お馬にお乗りにならないの」
「乗りますけれども、馬を持っておりません」
「じゃア、人形町のような遠いところへ、どんなもので、いらッしゃるの?」
「歩いて参ります」
「アラ、大変。私、お馬を持ってきてあげるわ」
「ところが、連れがありますので、ぼくだけというわけに参りません」
「存じております。気どり屋の通人さんに、礼儀知らずの剣術使いでしょう」
「ほかに古田さんという巡査がおります」
「じゃア、四頭ね」
 と云ったと思うと、馬にのって駈け去る。やがて馬丁と四頭の馬をひきしたがえて、戻ってきて、庭木へ一頭ずつつないでしまった。
 当時は、大そう乗馬がはやっていた。婦人間にも流行して、袴をつけて、馬にのって雑沓の町を走りまわる。上流の流行ではなくて、一般庶民の半可通の流行で、女はたいがい淫売婦に限られていた。それで乗馬の流行は、甚しく識者に軽蔑され、匹夫《ひっぷ》野人、下素《げす》下郎、淫売どものやることで、良識ある人士は街を乗馬で走らないことに相場がきまっていたが、お梨江は常識の友だちではない。乗馬が面白そうだから、我慢ができなくて、こんな面白いものはないと大よろこびで、道行く人に睨みつけられても平チャラなのである。良識ある新十郎は馬をもちこまれてこまったが、お梨江の言葉であってみると、どういうわけだか、彼はイヤと云えないのである。
 一同勢揃いしてイザ出発となるとむくれたのは虎之介。馬にのれない訳ではないが、自分だけ着物の着流しだからグアイが悪い。けれども胸に畳みこんだ大推理があるから、ここは我慢のしどころと一時をしのんでいる。
 大そう生気のない老巡査を先頭に立てて、異様な五騎が通るから、驚いたのは町の人々。
「オイ、見ろよ。妙なのが通るぜ。曲馬団の町廻りかなア。茶リネの向うを張って、日本曲馬をやろうてえんだなア。鼻ヒゲをひねっているのが勧進元だね。太夫《たゆう》と女芸人は水際立っているねえ。こいつァ茶リネもかなわねえや。あの大男は何だろう? あれも日本の生れかねえ? ダラシがねえなア。ハハア。わかりましたよ。こいつァ趣向だねえ。日本の内地じゃア猛獣が間に合わねえや。あいつが虎の皮をかぶるんだよ。火の輪をくぐるのがアイツだよ。するてえと、あれも主役だ。虎が人間の素顔で町をねるてえ趣向が新奇だねえ」
 人形町へ到着すると、すでに警察の一行は留置した芳男をひったてて川木へあつまり、新十郎を待っている。加助の顔も見える。
 藤兵衛の死体は白木の棺におさまって安置されている。アヤは病身をおして父の死顔に一目挨拶にと来たものの、ムリがたたったところへ、父の非業の姿を見て、ウーンと気を失ってしまった。そのまま高熱をだして、一室にねこんでいる。新十郎は木戸を下させて、関係者一同を集めた。高手小手にいましめられている芳男の縄をとかせて、
「一晩つらかったろう。お前が永年世話をうけた叔父藤兵衛によく仕えて、かりそめにもお槙と事を起すようなことがなければ、こんな事件は起りはしなかったのだ。それを思えば、警察署の一夜などは罪ほろぼしのタシにもならないのだよ」
 こうきつくたしなめて、
「さて、お前にきくが、藤兵衛の死体のかたえから拾ったタバコ入れはどうした?」
「大川へすててしまいました」
「お前はいつもタバコ入れを腰にさしているのかえ」
「いつもということはありません。店に働いている時などは腰にさしておりません」
「あの晩は店にいるとき藤兵衛によばれて土蔵へ行ったのだろう」
「ア!」
 芳男は叫んだ。
「まったく、その通りでございます。私はもう一昨夜来、亢奮、逆上して何もわけがわからなくなっておりましたが、たしかに、あの晩、タバコ入れをたずさえて土蔵へ参る筈はございません。今、ハッキリと思いだしました」
 新十郎はニッコリうなずいた。
「お前はタバコ入れを土蔵へ持ってあがろうと思ったって、持ってあがるわけにいかなかったのさ。その時はタバコ入れはお前の部屋から消えていたよ。チャンと犯人のフトコロにおさめられていたよ。犯人はお前のタバコ入れをフトコロに、八時に当家をでた。いったん金本へいったが、前座がつまらないことを喋っている。しばらく場内をブラブラ油をうったりしてから、タマには前座からきいてみようと思ったが、これじゃア我慢がならねえ、寄席てえものは前座からきくもんじゃアねえや、ちょッと縁日をぶらついて、又くるぜ、と云って、顔ナジミの下足番に下駄をださせて、外へでた。土蔵の裏のゴミ箱へあがり、塀に手をかけて、なんなく主家へ忍びこんだ。下駄をフトロコに、ぬき足さし足庭をよぎり、土蔵へ忍びこみ、中の気配を見すまして、ヒキ戸をあけて、藤兵衛の居間の隣室へ身をひそめた。そのとき藤兵衛の居間には加助がきておって、二人は手をとりあって、泣きあい、堅く誓を立てあっていたところであった」
 立ち上って、そッと逃げだそうとした修作に、いち早くとびかかったのは花廼屋因果。至って推理の能に乏しいが、犯人にとびかかってひッ捕るカンの早さは格別である。修作を取りおさえて、自分が推理を立てたように満足して鼻ヒゲをひねった。騒ぎのしずまるのを待って、新十郎は謎をといてきかせた。
「修作は四日の晩から藤兵衛を殺す手筈を立てておりました。なぜならば重なる悪事を見破られて信用を失った上に、折よく芳男とお槙の姦通が見破られて縁切りをされて追いだされることを藤兵衛の口から知ったからです。翌日の五日は水天宮の縁日で、夜は自分の非番のところへ、店は混雑してテンテコ舞い、土蔵のあたりへ立ちよる者のないことを知っておりますから、この日こそは屈強の日とアリバイの用意をととのえて忍びこんだのです。忍びこんでみると、加助がよばれて来ております。主家へ帰参することになり、入れ替って、自分が追いだされるという話などをして主従むつまじく昔日の親しい仲に戻っておる。修作もそこまで考えてはいませんから、オノレ藤兵衛、益々殺意をかたくしてジッと機会をうかがっていたのです。加助に代って、芳男とお槙がよびつけられて縁切りを申し渡される。お槙は三行り半をつきつけられたのですから、修作にとって、こんなに都合のよいことはない。縁切りの直後に殺されたとあれば、誰の目にも犯人は芳男かお槙と疑られるのは必然のこと、絶好の機会とみて、二人の立ち去るや、藤兵衛を殺しました。お槙が酔っ払って土蔵へあばれこんだ時には、修作はまだ死体のかたわらに居りました。彼はカケガネをかけ、その時は五寸釘もさしこんで、ゆっくり後始末をしていたのです。自分にとって不都合なことは残っていないかと物色し、藤兵衛の身の廻りをしらべて、自分に不利な書附などがあったら盗んで帰ろうと思ったわけです。不都合なしと見極めて、持参した芳男のタバコ入れを死体のかたわらへ落して逃げました。何くわぬ顔、寄席へ戻って、円朝をきき、寿司屋で一パイのんで二時ごろ戻って何くわぬ顔、悠々とねむったのです。藤兵衛が殺されれば芳男とお槙の姦通が明るみへでて、芳男は落したタバコ入れによって捕えられる。動機と云い、タバコ入れと云い、証拠がそろっているから、云い逃れはできません。主家に残ったのは病身のアヤ一人。番頭の修作を聟に直して、後とりに立てようということになるのは自然の勢い、修作はそこまで見越しておりました」
 すでに観念した修作はふてぶてしい顔をあげて新十郎を見つめて、
「お察しの通りさ。しかし、私はもっと昔から、事を企んでいましたよ。お槙は芳男よりも先に私に色目をつかったのですが、私はそのときハッと胸にひらめいたことがあって、よしよし、オレがウンと云わなければ、あの色好みのお槙は自然芳男に手をだすだろう。姦夫姦婦をつくっておいて、藤兵衛を殺して罪をきせる。川木屋をオレが乗っ取ってやろうと、こう考えたのは一年半も昔の話でさアね。加助を追んだすぐらいはワケはない。五日の縁日に殺すのだって四日に考えついたわけじゃアありませんや。先月ちゃんと筋を立てて、一日から円朝の連続ものをききにいっていたのさ。四日に藤兵衛に叱られたのが、むしろ私の運のつき、あんなことがなければ、かえって私が疑られるようにはなりますまい。おまけに加助がよびつけられた一幕などが加わって、今から思えば、五日という日が大そう間のわるい日になりましたが、たくみにたくんだアゲクに、一日ちがいでこうなるてえのは神仏の思召《おぼしめし》という奴かも知れません。探偵のお前さんが偉いわけじゃアありませんよ」
 と云ってニヤリと笑った。

          ★

 ナイフを逆手に後頭をチョイ、チョイときって血をとりながら、海舟は虎之介の報告をきき終った。
「フン。修作がそう云ったのかえ。四日に藤兵衛に叱られたのが運のつきだったとねえ。たくみにたくんだあげく五日という日が大そう間の悪い日になったというのは、修作にはその恨みが深かろうよ。えてして、そんなものさ。だが、トントン拍子の時もある。人生は七ころび八起きのものだが、犯罪は見ッかると一ペンコッキリで後がないから、神仏とか因縁なぞを考えるのさ」
 海舟は左手の指をチョイときって、悪血をとりはじめた。
「四日の晩に藤兵衛に叱られて殺意を起したという新十郎の見方に狂いのある筈はないのだが、修作の云い分によると、主殺しの筋は先月立てたことで、四日の晩に叱られたのがむしろ運のつきだ、というのさ。修作の言葉は真の事実ではあるが、理によって筋の立つものではない。実に偶然てえものは、まことにヤッカイなものだ。修作にも意外であるが、新十郎の頭にも、こいつだけは手に負えねえや。オレが現場に立ちあっても、新十郎と同じことさ。偶然のことは、又、偶然によるほかには、人智によって知り得ないものだ。オレが加助を犯人と見たのは間違っていたが、現場に立ちあっていないのだから、仕方がねえのさ。だが、加助のような人望のある実直者がまま犯人だてえことは、よくあることだから、一度はそこへ目をつけるのを忘れちゃアいけないものだ。部屋にこぼれていた土に曰くがあることはオレがチャンと見ていたことだが、すると犯人は加助か修作かどッちかだということになる。加助にきめてしまったのが、オレのマチガイの元なのさ」
 虎之介は海舟の読みのひろさに益々敬服の念をかため、その心眼の鋭さに舌をまいて、謹聴しているのである。



底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房
   1998(平成10)年11月20日初版第1刷発行
底本の親本:「小説新潮 第四巻第一二号」
   1950(昭和25)年11月1日発行
初出:「小説新潮 第四巻第一二号」
   1950(昭和25)年11月1日発行
※底本は、
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