一流の人物は心構えがちがっているね」
新十郎が感服してうなずくと、お絹は自分がほめられたようにポッとあからんでしまった。美男子というものは得なものだ。
「今晩はどんなものを召上ったね?」
「蒲焼やおサシミや鮎や洋食の御料理や、いろいろと用意してございましたが、急いでお茶漬を召上るときは、梅干を六ツ七ツ召上るだけでございます。梅干がお好きで、御前様の梅干は小田原の農家の古漬を特にギンミして取寄せております」
五兵衛の食膳へのせる梅干の壺は明《みん》の高価な焼物だということであった。大きなツブの揃った何十年も経たかと思われる梅干がまだ六ツ残っていた。
調べを終って、門をでると、虎之介は喜びふくれる胸の思いに居たたまらぬらしく、花廼屋をこづいて、新十郎の後姿を目顔でさしながら、
「アッハッハ。ムダな方角を見ているんだねえ。アッハッハッハ。見ちゃアいられねえなア。オレは、ちょッと、失敬しますよ。ハッハッハッハ」
「みッともないねえ。なんてダラシのない笑い顔をする人だろう。馬がアゴを外したような顔をする人だ。お前さんの方角が見当ちがいにきまってらア。ムダ骨を折りたがる人だ」
「アッハッハッハッハッハッ」
虎之介は笑い茸《だけ》を食ったようにダラシなく相好をくずして、
「お先きに失礼。ハッハッハッハ」
喜びいさんで、どこかへ走っていった。
新十郎は鹿蔵に、
「烏森の夕月へいって、加納さんが誰に会うはずであったか、きゝただして下さい。それから、これは、ちょッと難題ですが、加納夫人の素行を総ざらいに洗っていただきたいのです」
これをきくと花廼屋はよろこんで、
「それ、それ。大先生の心眼がズバリそこを指すだろうと見ておりました。虎公は田所と睨んでいるのさ。ヤブ睨みだね。あの人の智慧は、失礼だが、浅い。私はね、チャンと見ていました。あすこをね」
新十郎はふきだしたいのをこらえて、
「あすこッて、どこですか」
「ねえ。ほら、あすこんとこさ。先生の心眼がズバリさしたところさね」
「私の指したところッて、どこでしょうか」
「ヤだなア、この人は。あなた、さしたでしょう。加納夫人の素行のとこさ。ね。フランケンですよ。犯人はこれだ。私もね。手裏剣にしちゃア傷が深い、おかしいなア、と思ったんだが、西洋の手裏剣たア知らなかったね。こいつア、術がちがいます。フランケンは大そう好男子だが、西洋手裏剣の名取りだろうと睨みましたね」
★
海舟の前にかしこまった虎之介は、後先をとりちがえないように念を入れて、語り終ってホッとした。
さて、それからが問題で、花廼屋に鼻先であしらわれたが、無念なことには奴めの雑言たがわず、彼の心眼は狂ったところを見ていたようだ。狂うはずはないのだがなア。まことに面目ない。そこでいつもの例であるが、海舟のところへ、心眼の狂いを直してもらいにきたのである。虎之介は腑に落ちない顔。
「五兵衛に近寄った者は総理のほかにはおりません。もっとも、アツ子とフランケンのところへ自分から出向いてはおりますが、異状なく立ち戻っております。総理が去って二三分後に、ふらつき、よろめいて、倒れるところを、田所が駈け寄って抱きとめましたが、ふらつく前に近づいた者はおりません。総理が去って二三分、そのときお梨江が卒倒して満場の注目がそッちへ向いております隙に、手裏剣をうった者、田所のほかに犯人はございません。手裏剣のとび来った方角に最も近く居た者は田所で、すこし離れてフランケンがおりますが、彼の位置は田所にさえぎられて手裏剣をうつことができません。倒れる五兵衛に走り寄って抱きとめたのは、離れていた故、刺したのは自分でないぞと見せる下心。まんまと化かしおおせたツモリだが、奴め、このときシッポをだしております。ふらつき倒れる五兵衛を見ていたのは田所ひとり、人のうった手裏剣ならば奴めが見逃すはずはございません」
海舟は煙草盆の下のヒキダシからナイフをとりだした。砥石をひきよせ、水にしめしてナイフをとぎはじめた。砥石とナイフは彼の座右の必需品。自分で指や頭のあたりを斬って、悪血をとるのである。
「田所を犯人と見た目に狂いがあるとは、まことに心外千万ですが、彼の近隣知友について調査いたしましたところ、彼は幼より成人に至るまで女子にも劣る柔弱者で、武術はおろか、拳法すらもたしなんだことがございません。まことに困ったことに相成りました」
これが嘆きの種である。煩悶、又、煩悶。海舟はとぐ手をやすめて、
「神田正彦が虚無僧だッけな?」
「ハ、左様で。しかし、神田は遠い壁際にたたずんでおりまして、フランケンと同国の大使館員と同席、会話いたしておりました」
「そうだろうよ」
海舟はゆっくりとぎ終ると、ナイフを逆手に、後ろ頭をチョイときって、懐紙をとりだして悪血をとる。散々頭の悪血をしぼると、次には小指をチョイときって、懐紙で悪血をとっている。悪血をしぼりながら、おもむろに心眼を用いているらしい。海舟はナイフと砥石をかたづけて、血をふきふき、
「色と見せて別口のあるところが非凡なのさ。虎には、チヨット、わかるまいよ。その日になって、アツ子はにわかにチャメロスとお梨江をとりもつようなことをしたというが、これが計略だアな。アツ子とフランケンはできているぜ。オレもフランケンには三四度会って話をしたことがあるが、好男子で、大そう如才がなくて、鼻筋も唇も目も、顔全体がみんな薄々とした優男《やさおとこ》だな。この顔相はロベスピエールに似ているぜ。顔相の同じいものは、魂も同じいのさ。日本では斎藤道三が悪がしこくッてキモのできた悪党だが、大そう好男子であったそうな。これも目鼻の薄々した優男であったろうよ。人間の仕でかした事蹟を見れば、顔も大方わかるものだ。アツ子とフランケンは組んで踊っていたらしいが、さすがに思いきったことをやる。計画は見ぬかれまいと、自信があってのことだ。しかし、手を下したのは、フランケンでもアツ子でもない。虚無僧姿の神田正彦。五兵衛を刺したのはこの男だ」
海舟は事もなげにいいきった。まだ止らない血をふきながら、彼はさらに説明した。
「虚無僧姿が二人いたてえことを忘れちゃアいけないぜ。田所はアツ子の情夫だ。これが当日何者に仮装するかてえことはアツ子に知れている。あるいはアツ子がすすめたのかも知れねえや。大方そうにちがいはあるまい。人に顔を見せずに、自分の方からは人を見ることができるてえ虚無僧は、仮装会の人殺しにはもってこいだなア。おまけに尺八とくる。五兵衛を殺した小柄は、この中に仕込んであったぜ。神田は海賊あがり、オレが船乗りのころ挨拶にきたことがあったが、武道十八般に通じ、万事につけて一家の見識のある男だ。金が好きだから、海賊にも商人にもなったんだろうが、政治をやれば総理はつとまる男だよ。人殺しぐらいはキュウリをねじきるぐらいにしか思っていやしねえ。ひどい奴さ。アツ子がにわかにチャメロス側の味方についたと見せかけたのは、まず第一には、お梨江に蛇をつめた壺をもたせるため。第二には、チャメロス、善鬼ら、反対派の者どもをお梨江とチャメロスのことにかかりきらせて、注意をそらすためだアな。お梨江が卒倒する。人の注意がそッちへ向いたとき、待ちかまえていて手裏剣をうったのは、神田だ。ちょうど同じ虚無僧姿の田所が近所にいたてえのは偶然のことで、奴らの計画じゃア、虚無僧が二人いりゃア、それでいいのさ。みんなが踊りまわって、同じ場所に定着する者のいない舞踏会てえものは、特定の時、誰がどこにいたかてえことは、殆んど見当がつかないものさ。一瞬ごとに廻りの者がうつり変ってらアな。神田がそのときフランケンの同国の大使館員と壁際で話を交していたといえば、それを覆す証拠はねえのさ。誰かがそこいらに虚無僧を見かけたようだと思っても、虚無僧が二人いるから、心配はいらないことさ。これが五兵衛殺しの真相だ。証拠がなくッて、一味にフランケンもいることだし、善鬼が薄々感づいても、犯人を捕えることはできないだろうよ」
明察、神の如し。虎之介はただもう謹聴、一語一語に心眼の曇りをはらい、洗いきよめてつつしんで退出した。
★
虎之介が海舟邸からとって返して、新十郎を訪ねると、花廼屋がつめかけていて、新十郎の出動を今か今かと待ちかまえているが、まだ潮時ではないと見えて、新十郎は書生の晏吾と西洋将棋に没頭している。
虎之介を見ると花廼屋はよろこんで、
「ヤ。お帰り。大探偵。とうとう犯人を見つけなすッたね」
「ハッハッハ。貴公の心眼はどうしたエ」
「ナニ。犯人はフランケンさ。顔は優しいが、根は西洋手裏剣の使い手だ」
「ハッハッハッハ。しかし、フランケンを見ているとこは、田舎通人にしては、出来すぎている。色とみせて別口のあるところが非凡だな。お前には荷が重かろう」
そこへ鹿蔵が疲れきってやってきた。この老巡査は性来至って鈍根だが、うけた命令は馬鹿ティネイにあくまで果してくるという長所をもっている。昨夜新十郎に命じられたことを、殆ど寝もやらず駈けずりまわって、今しも戻ってきたところだ。新十郎のかたえににじりよって、
「夕月で待っていたのは、中園弘でございます」
「ヤ、加納さんの第一番頭、三年前に行方不明をつたえられている中園ですね」
「さようです。夕月の女将には腹蔵なく話しておいてくれましたので、さいわい知ることができましたが、その日の午ごろ見知らぬ男が、中園の使者と称して現れまして、ただ今シナから戻ってきましたが、まだ仕事が完成しておりませんので姿を現す時期ではないが、御前に御報告だけしておきたい、夕方、夕月へ参りますから、とこういう話であったそうです。加納さんは半信半疑で、中園はたしかに用務を帯びてシナへ行く途中ではあったが、玄海灘で船が沈んで、助かったとは思われないが、フシギなことだと話しておられたそうであります」
新十郎はうなずいて、
「なるほど、たぶん、そんなことだろうと思ってはいました。そして中園は夕月へ現れましたか?」
「いいえ、今もって現れておりません」
「そうでしょうなア。そして、たぶんいつまでたっても現れはしますまい。それから?」
「夕月のぶんはそれだけですが、アツ子の素行につきましては、まことに難題で、田所のほかには、なかなか正体がつかめません。しかし、だいたい素行については悪評がありまして、フランケンとは近ごろ特にネンゴロだということを噂している者はございます。散々歩いて、つきとめたのは、ようやく、それだけで……」
新十郎はニッコリ笑って、
「いつもながら、あなたには感謝しますよ。正確無類に私の足の代りをつとめて下さるからです。おかげで私は西洋将棋をたのしむことができますよ。私が自分で歩いたって、あなた以上にききだすことはできますまい。では、そろそろ出発いたしましょうか」
虎之介は有項天によろこんで、口もとから自然にほころびる笑みを抑えるから、
「オヤ。どちらへ?」
「加納家へ参りますよ」
とうとう我慢ができなくて、虎之介はゲタゲタ笑いたてて、
「オヤ、あんなところへ、何御用で?」
「さては泉山さんは犯人を見つけましたね。おはずかしいが、おそまきながら、私はこれから犯人を突きとめに出かけるのですよ」
こう愛想よく新十郎におだてられると、虎之介はもう我慢ができない。柱によりかかって、背中をねじくりながら、ゲラゲラ、ゴロゴロと喉の中をスポンジボールがころがるような奇怪な音を発してとめどなく笑いくずれている。新十郎は晏吾に命じて、
「お前は風巻先生を御案内して、後から加納家へ来るように。先生は待ちかねて、いらッしゃるだろうよ」
こう云い残して、四人はつれだって、加納家を訪ねた。速水星玄は今日はチャンと警視総監の制服をきて、部下をひきつれて、新十郎の到着を物々しく待ちかまえていた。制服をきせた姿は、国威を失墜したことなどはトンとなかったようにりりしく見える。新十郎を見ると、進みでて握手して、
「杖とも柱とも頼み申しておりま
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