。他にも、その一事によって秘中の史実が知れるという決定的な場合には実の名詞を使わず今様の名詞を使いますから御承知下さい)は考えた。大製鉄所を国家の事業としてやると、国際的にうるさい。半官半民でも、おもしろくない。民間人にやらせる一手であるが、幸い志を同うする者に大政商加納五兵衛という者がいた。そこでこの男の個人事業としてやらせることになった。
 とはいえ、これは表向きで、五百万ポンドの借金にしても、実際は政府がタンポもだし、借金の後始末万端責任をもつというハッキリした国家事業だ。X国はZ国とは勢力対立し、目の敵の間柄であるから、日本が工業をおこしてZ国の東洋市場をいくらかでも荒すというなら不賛成ではない。そこで日本とX国が密々に交渉をはじめた。
 けれども、五百万ポンドといえば、まことに莫大な金額であるし、目の敵のZ国とはいえ、国際間のことは微妙で、いくらの得にもならないことで他国の怒りをまねくようなバカはしたくない。X国は慎重そのもので、五百万ポンド、はい、貸しましょう、とはなかなか云ってくれない。
 こうして半年ちかくも埒があかないうちに、Z国がこの秘密交渉を見破ってしまった。裏の裏まで見ぬいた。
 そこでZ国が裏をかいて、仕返しに何をしたかというと、彼は日本に忠告したり、X国に抗議するようなことはしない。日本はX国から紙・石油・綿糸(これが先の総理大臣の呼称と同じことで、実を書くと秘密が知れるから、品目の名はデタラメ)を買って、これがX国の莫大なモウケをなしている。そこでZはXへの仕返しに、他国から日本に安価な原料を世話した上、製紙、製油、製綿糸の大工業を起させようと企んだ。
 Z国がこの秘密の相談を持ちかけたのは、総理大臣上泉善鬼の政敵で、次期政権の必然的候補者といわれている対馬典六であった。典六は善鬼の藩と対立する雄藩の代表的人物でもあった。そこでZ国の大使フランケン(この名もデタラメ。発音によって国名が知れるから、いい加減なのを選んだ)はひそかに典六をよんで、お前に五百万ポンド貸してやるから、大々的に製紙、製油、製綿糸事業をやれ、原料も製品の海外市場も世話してやる。けれども、政治家のお前がやるのは国際的に不埒な点があるから、表向きは実業家神田正彦の個人事業としてやらせろ。タンポはこれこれだが、これはお前が総理大臣になったとき、公式に借款契約したような書式にしようじゃないか、ともちかけた。
 典六は大いによろこんだ。こッちから頼みたい話を先方から持ってきてくれたのだから、喜ぶのは当り前である。さッそく神田正彦をよんで話をつたえる。神田は加納五兵衛と対立して天下を二分する大政商、加納が上泉善鬼と結ぶに対し、対馬典六と結んでいる。この相談をうけて、一も二もない。神田は典六以上によろこんだ。
 こうして、両々対立するに至ったから、いずれからともなく秘密がもれて、政界裏面の秘事は消息通の耳にもきこえるようになり、かねて海舟もきき及んでいた。
 さてX・Z両国が対立するに至ったから、売られた喧嘩は買うのが人情、X国がアッサリ政府の申出に応じて五百万ボンドかしてくれたかというと、そうではない。なかなかウンと云わない。この理由はいろいろと取沙汰されて、世間では、X国大使チャメロスが加納五兵衛の娘お梨江(当時十八)に執心で、総理上泉善鬼にその意をほのめかしたから、善鬼と五兵衛が汗水たらしてお梨江を口説き、ついに平身低頭して頼んだけれども、お梨江は、
「オトトイおいで」
 と、学習院の卒業生にあるまじき言葉を用いて、てんで問題にならなかったという。
 実際はXの内政がヒヘイしていて、Zの攻勢に応じられない弱身があったというのが事実のようだ。しかし、当時の人々はお梨江のせいにして、これが評判であった。
 そのときの秘話として、次のようなことを世間では伝えている。娘ッ子を口説くにも、外交談判と同じように、時々、世間話などもして打ちとけたフリをしなければならないから、善鬼は懐中から蝋マッチという秘蔵の品物をとりだしてみせて、これはチャメロス大使からもらった舶来のポスポル(マッチのこと)であるが、日本のポスポルとちがって、どこでこすッても火がつく。西洋でも甚だ珍奇なものだ、といって、一本をお梨江に与え、一本を自分の靴の底ですって点火してみせた。
「まア、珍しい品物。ちょッと、オジサマ」
 と、お梨江は目をかがやかせて、イスを立って進みでると、アッとおどろく善鬼のハゲ頭を片手でおさえて、力いっぱいマッチをこすった。お梨江の期待に反して火がつかないから、
「アラ、ウソつきね」
 と云って、お梨江はマッチを投げすててしまった。善鬼はカミナリ大臣とよばれて、癇癪もちで有名であったが、ここぞカンニンのしどころ、蝋マッチに一文字をひいたハゲ頭に湯気もたた
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